藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

やったからこそ分かること。

若者を見ていて「よくもまぁ、そんなに無駄に時間を使うなぁ」と思った。率直に。
これは大分自分が老いた信号に他ならない。

なぜなら、自分こそ「時間の無駄遣い」では人後に落ちないヤツだったから。
(私の高校卒業後のあだ名は「寝たきり浪人」でした)

だから若い自分にアドバイスってヤツがあるとしたら「時間は大事にな」と言うかもしれない。
けれど。
けれど待てよ。

そういう「何年間もクズのよう」に過ごしたことがあるから「今の大事さ」も分かるのか?
それは言い訳でしかないのだろうか?

ただ無駄にタバコを吸って、酒を飲んで、働かず、学びもせず、どうしようもない自分に「お前なぁ」とアドバイスして効果があるだろうか?
だから若者にかける言葉は難しい。

変に思いやっても「それを受け止める器官」は向こうにはないから。

「俺はこう思う」と素直な自分の意見をぶつけるしかないのだろうか。
それともボブ・ディランをイメージして、自分なりの言葉や詩を語ってみるか。
それとも「俗世の掟」とばかりに「厳しい社会の詮無いルール」をそのまま提示するべきか。

自分より20歳以上も若い人と話していて、絶対敵わないこと。
それは「時間の距離」だ。
お互いの実際の寿命は分からないけれど、「時間の持分」については若い人が圧倒的に差がある。

こちらは、今の経験値を持ってそんな「時間の優位のある若者」に話す。
若者からは「そんな時間の優位」は実感としてはまるでない。

だからそんな「言葉たち」について、敏感に受け止めてもらいたいと思う。
その言葉は何十年もたって発せられる「人生のエキス」みたいなものなのかもしれないから。

もし要らなかったらただ捨ててくれていいから。