藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

書棚こそが価値。

活版印刷の初期から比べてIoTの時代に。
記録の技術は造像をはるかに超えて進化している。

どんな本をどのように並べたか、書き込みや線引きはあるか。
それらを知ることは、その人の思考の過程をたどることにつながるはずだ。

なぜなら「いったん特定の個人の手に渡った瞬間から特別な意味を持ち始めるから」という著者の主張には納得できる。
蔵書の中身の作品たちは普遍的にアーカイブされているが、「蔵書のインデックス」は著作とは違う「編集作業」がなされた別の情報と言えるだろう。

気取らず、どんな本がその人の本棚に並んでいるのか、というのは実に気になるところではないだろうか。
そして、自分の本棚に何が並んでいるか、ということにも気を配らねば。
もっとも今は本棚は「クラウドの雲」の上に上がり始めていて、書斎からは消えつつあるようだが。

蔵書のゆくえ その2 甲南大学教授 田中貴子
前回、東京女子大学丸山眞男文庫プロジェクトを故人の「知のアーカイブズ」保存の一つの方向として評価したが、ウエブ上で書庫や蔵書の配列が再現できるというのは魅力的である。公刊されている書籍なら誰でも対価を払って入手できる印刷物にすぎないが、いったん特定の個人の手に渡った瞬間から特別な意味を持ち始めるからである。どんな本をどのように並べたか、書き込みや線引きはあるか。それらを知ることは、その人の思考の過程をたどることにつながるはずだ。

以前、江戸川乱歩が書庫としていた蔵を案内する動画を見たことがある。ほの暗い蔵にみっしりと詰まった古今東西の書物や記録魔の名にふさわしい資料の群れは、乱歩の頭の中を垣間見るようで圧倒された。形あるものだからだろうか、蔵書にはその人の身体性が刻印されているものだ。これを何とか再現できないだろうか。

収蔵する場所がないなら、いっそヴァーチャルな空間に仮想書庫を作ってしまうのはどうだろう。VRのヘッドセットを装着すると故人の書庫が展開されるのだ。自由に歩き回り、気になった本に触れるとスキャンされた本の中身を(書き込みなども含めて)見ることも可能だ。まさに、その人がどう読んだかを追体験できるのである。

もちろん、著作権や個人情報などの法的問題は大きいし、本の現物は廃棄することになるし、そもそもそんな金と人手がどこにある、といった批判はあろう。だが、文化資源としての蔵書のゆくえを考えると、こんな妄想をしてみたくもなる。放っておくと、資源はいずれ枯渇するのだから。