藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

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友人に長らく借りていた海外ドラマシリーズ(dvd50枚)を返却しようとしたところ「処分してください」とのこと。
もう全てwebから無料でダウンロードできるのだそうだ。
時代は進んでいる。

フランス文学者である桑原武夫の蔵書が遺族に無断で寄贈先の図書館に廃棄されたという「事件」は、その意味で痛恨事だった(日経新聞2017年4月28日夕刊)。

もうこんなことが起きている。
デジタル化がどう、というレベルではない。

「コンテンツそのもの」はなくなってはいないが「紙の本」がなくなる時代がいよいよ来る。

筆者の田中さんが言うように、もう「書棚の顔ぶれ」が保存されてさえいれば、コンテンツは全部デジタル、という時代はすぐそこに来ている気がする。
蔵書のタイトル、こそが重要なのだ。
自分のように「積ん読本」ばかりの人間はちょっと恥ずかしい。

蔵書のゆくえ その1 甲南大学教授 田中貴子
本棚を眺めていて、自分が死んだらこれらはどうなるのかと考えたことは一度や二度ではない。おそらく、大量の書籍や資料を所有する人なら誰でもその経験はあるだろう。稀覯書(きこうしょ)の類はないものの、私の血や肉を作り上げてきた材料が詰まっているからだ。フランス文学者である桑原武夫の蔵書が遺族に無断で寄贈先の図書館に廃棄されたという「事件」は、その意味で痛恨事だった(日経新聞2017年4月28日夕刊)。

勤務先の大学に寄贈すれば、などと事情を知らぬ人は言うが、現在どこの図書館も保管スペースの不足と受け入れ作業に必要な人手の問題を抱えており、まったく無理なのである。高知県立大学図書館が蔵書を処分したニュースを思い起こしていただきたい。批判は多いが、これも金と人がないというのが最大かつ究極の原因といえる。

私の本はともかくとして、日本の文化・社会に影響を与えた故人の蔵書はその人の思想の根幹をなす重要なアーカイブズであるはずだ。どんな本がどのように並んでいたかを知ることができれば、故人の思索を追体験することが可能かも知れない。そこから新たな知見を得る人も出てこよう。ただし、紙の本は膨大な場所をとるうえ、書庫や書斎の復元などは不可能に近い。

故人蔵書のアーカイブ化の好例として、東京女子大学がウェブ上で展開している「丸山眞男バーチャル書庫」があげられる。生前の丸山の書庫が平面図で表され、書棚の並びも復元されている。書棚の番号をクリックすると、並んでいた本の一覧が示されるのだ。こういうところに金と人を使ってもらいたいのである。