藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

IoTの人。

Googleが ARの映像提供を開始したという。
ストリートビューも驚きの試みだったが、さらにその先だ。
街中にもカメラが多数配置されているし、IoTの普及で車にも建物にも無数のセンサーがつくだろう。
 
「人と直結するスマホやPC端末では、すでにユーザーの個性は丸裸になるつつある」らしいが、それがリアル生活にも及んでくるだろう。
それにしても街角のカメラや自動車は「無限に映像を撮っている」が、果たしてそれに意味を持たせるものは何か。
 
一方自分たちは歩きながら「今日は子供が多いな」とか「あのお店には行列ができている」とか「雨予報なのに傘を持っている人が少ないな」とか、実に勝手なことを感じながら生きている。
先日、学生時代の友人と話していて「美人に会う日が多いと感じることはあるか?」というくだらぬテーマで大盛り上がりした。

さてビッグテータ社会では「こう言う観点」はいずれ生まれてくるだろうか。

 あまりにも多くのデータがあり、またデータの処理速度も極めて早い。

けれどそのデータの意味とか、主観とかを作り出すのは、おそらくコンピュータではなく「人間の感情」だと思う。
 
コンピュータは一度その「気づき」を貰えば、次からはそうしたことも関数に組み込むに違いない。
けれど「鉄道オタク」とか「ヒーロー漫画」がなぜ発生するのかをアルゴリズムで解き明かすのはまだ難しそうだ。
当面は"「超ビッグデータ」を収拾し、加工するコンピュータ"と、何の脈絡もなく「街並みと私の気分」を結びつける人間とのコラボレーションになるのではないだろうか。
その先には「人が感じそうなことは全て網羅される時代」が来れば、お手上げになります。