*[ウェブ進化論]例外への対応。
日経より。
東日本大震災の時のように「起きた事実を追う」よりも「これからの予測」をする分、今回の報道は難しい。
そして今回ほど"風説"が流布されているのもかつてないことだと思う。
先の震災の時に比べて「発信する機会」は格段に増えている。
これほど発信が増えてからの災害事件は初めてではないだろうか。
CNNやBBCなど海外のサイトの情報を見るのもよし。
もっとローカルな中国やアフリカの報道サイトも見ることができる。
自分たちは厄災に見舞われているときは、往々にして冷静に自分を考えることができない。
今がそうだ。
この先最悪のシナリオでは(ワクチンが出来るまで)数年間は、コロナウィルスと向き合わなければならない。あるいは数週間から数ヶ月でウィルスの拡散は収束し、元へ戻るだろう、というもの。
どちらの話が現実化するかは分からないが"どちらの"場合にも自分の処し方を考えておくのが、自分たちに「今できる準備」なはずである。
未来を"見切ろう"などとすると、往々にして「論理の罠」にハマって見誤ることが多い。
(最後の"かけ数"がプラスかマイナスかで結果がひっくり返るのだから)
事態がどちらになろうとも、それぞれの機の腹を決めておくことが必要なのではないだろうか。
ウィルスに精神的に呑まれてはならないと思う。
今こそ落ち着きましょう。
このような時こそ、検索を
新型コロナウイルスを前に、世界はあっという間に有事となった。会合が次々にキャンセルされ、リモートワークが常態化するなか、私たちははっきりと仕事の優先順位をつけなければならなくなった。
マネーフォワード取締役兼Fintech研究所長。野村証券で家計行動、年金制度などを研究。スタンフォード大学経営大学院、野村ホールディングスの企画部門を経て、2012年にマネーフォワードの設立に参画。
「困難な時ほど真価が問われる」とはよく言われる。だが、それを標語とせずに、責任ある実践を行っていくことがいま求められている。私たちがいつになく問われているのは、意味ある政策や意思決定とは何かである。未知の感染症が相手であるだけに、情報にはどこまでも不確かさが残り、確率論が応用できる範囲が限定されている。
一方で、世の多くの人達は確実なメッセージを求めて、信じるべきでない情報に救いを求めたり、不安を「買い占め」といった形で表現してしまったりするのも事実だ。そういった不確かさから、周囲を守っていく必要がある。
また経営者は、従業員の保護を最優先しつつも、事業を守り切ることが必須である。過去に様々な業界が、金融危機や自然災害を契機に倒れていったことも考えれば、それは生半可な問いではない。現場の情報がバイアスなく共有され、一番正しい判断材料を持った人が意思決定を行い、従業員をストレスから解放するための全ての方法が問われている。
私は迷った時ほど、普通に答えを求めて検索してみることが大事だと感じている。インターネット上では、誤った情報が瞬時に広まるのも事実であるが、その多くはSNS上で発生する。情報伝達の摩擦がない分、流言飛語の度合いは幾何級数的に高まっているともいえるが、一方でそれらをフィルタリングしたり、重みづけをしたりする方法論も存在している。
様々な批判はあれど、検索エンジンのアルゴリズムは、過去に比べれば相当に正しい情報への到達を確保しやすいものとなった。大量の情報の中から、集合知への信頼と、機械学習やビジネス倫理の組み合わせの中で、フェアネスを確保している。
また、社会が有事にあるときには、新しい社会のフロンティアが表出することもある。東日本大震災の時には、災害物資の輸送のために産業横断的にデータが提供され、その価値が発揮された。今回であれば、東京都が提供した感染症対策ウェブサイトは、信頼を提供できる主体が、他の自治体でも応用できる技術として情報を公開したことで、より多くの人の意思決定を救っていくことにもなった。エンジニアマインドをもって、目の前の問題への新しいアプローチを考えられることは、かけがえのない資産になっていく。
天才エンジニアでもある台湾のIT担当大臣、オードリー・タン氏が東京都のサイトにエールを送った。彼女は、集合知を活用した政策の優先付けを行うなど、台湾の新しい民主主義の姿を模索している。正しい情報は常に分散しているが、それらを集めつつ、意味ある意思決定を行っていくこともまた可能であるという信念がある。私もまた技術への期待を大切にして、できることをしていきたい。
[日経産業新聞2020年3月19日付]