藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今意味を考える

 *[ウェブ進化論]この先に起きること。

先の震災の時のブログに何を書いていたのかと思うと今と全く同じ心境だったことが分かる。

「役に立たない経験はないのだと思いたい」と書いているが、果たしてその後はどうだったろうか。

あれからもう9年経つが、食糧や乾パンを備蓄する習慣はなくなり、さらに急激なその後のスマホの普及でみんなが「ネット化」に夢中になってきた9年だったと思う。

twitterが災害の情報交換に大活躍し、ネットの有り難さや、またフェイク情報などの脆さを改めて感じてからのその後。

 

2020年は「AI元年になる」だとか、「人手不足は解消する」よりもコンピュータの活躍で「人の仕事は8割なくなる」…そんな話題がつい先日まで溢れていたが、まさかの"リアルウイルス禍"がこれほどの脅威をもたらすとは想像もできなかった 

そしてご多分にもれず、これからについても何年もこの状態が続くという「超悲観論」、実は(ことに日本は)大したことにはならないという「超楽観論」が飛び交い実に混乱している。

災害による実被害も恐ろしいが「未知のウイルスに自分の健康が脅かされる恐怖」が、さらに何倍もの萎縮をもたらしていることは、今後の自分たちにとっても重要な研究テーマになるだろう。

そして思う。

リアルで起きることは、まず間違いなくサイバーでも起きる。

コロナウイルス以前に、自分たちが全力でのめり込んでいた「サイバー社会との同化」がもっと進み、もうネット上での識別ができないと生きられない時代が近づいていると思う。

コンピュータウイルスであれ、ハッカー集団であれ「ネット上の権利」が冒された時には今回と同じような、いやそれ以上の混乱が待っているように思える。

 

この度のコロナ禍は、そんなサイバー社会の警鐘になるのではないだろうか。

学ぶべきはこれからではないだろうか。