藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

代替可能性(2)

*[次の世代に]どんどん剥ける。
AIや真相学習等と、そこまで最新のテクノロジーを使わなくても、自分の仕事や能力は「どの程度のもの」で代わりが可能だろうか。
 
例えば計算能力ならすでに電卓にはかなわないし、コンピューターの機能を使えばほとんどの定型的な事は置き換えることができそうだ。
じゃぁ判断業務といったところで、果たしてネット上の知恵を合わせれば、どれほど戦略的な判断に秀でているかと言うと実に心もとない。(汗)
 
ゲームの理論ではないが、大きくつまずいたりしない限りは、自分の思考回路の特性と言うのはそんなに変わるものでもない。
つまりは「大体似たような判断をしている」ということだろう。
つまりは"9割型の自分"は機械で代替が可能なのではないかと思う。(嘆)
 
むしろ自分が自分らしいとかいう部分は、能力的なことではなく、実に生産性や利益とは何の関係もない気まぐれさや、好奇心にこそありそうだ。
つまり自分は付加価値的には、実にたいしたことない。(泣)
かくして残りの1割以下で勝負することになる。
 劣勢である。