藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

無限の無意識

歳をとると「時間の使い方が丁寧になる」と言うのは若い人に知っておいてもらいたいとても大事なことだ。
逆に言うと若い人は時間の使い方に頓着がない。
それが若さだとも思う。(セイシュン) 
どんなふうに時間の使い方が変わるかと言うと、まず前日や次の1週間が始まる週末に、次に何があるかを事前に必ずチェックするようになる。
そして一日の予定をリストに書き出してそれを消し込んだりもする。
 
一方若者は、当日出かけてから忘れ物をしていることに気づいたり、そして「そこから対処を考えたり」する。
その時次第で生きられる。
 
多分この差は「より充実した残り時間の使い方をしたい」という老人の願望の表れなのだ。
なので若い人には、そういう「時間の貴重な感覚」がいずれはやってくるのだ、と言うふうに想像してもらいたい。
だって今有り余る時間がある中で、大事に時間が使えればどれほどのことができるだろうか。
 
別にケチケチ時間を使おうということではない。
だんだんと"そんな風になる自分"を想像しながら、今日の一日を、ゲームに使うのかパチンコに使うのか、読書に使うのか、(デートには使うべきだろう)そんなことを、たまに想像してもらうだけで時間の使い方が変わってくるだろう。
 
本当に自分が「熱中したいもの以外」に時間を使うことが、どれほどもったいないことかを想像して、時間は大事に使いましょう。
とゲームをしていた自分に言ってやりたい。