藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

罪と罰

*[次の世代に]まずやってみる。

昔から「いく場所がないから罪を犯して刑務所に行く」という悲惨な話はあった。
折しも、コロナで刑務所内の感染や維持が大変らしい。

何万人もの人がただ刑に服すというのは正しい姿なのだろうか。

積極的に働いてもらってはどうだろうか。

そもそも、刑に服して「ただ囚人として過ごす」のが本当の償いなのだろうか。

"懲らしめ"にはなるのだろうが、経済的には負担ばかりが増すだろう。

むしろ犯罪を冒した人は、その過去を晒しながらも積極的に社会に出る方が「陰にこもらない」で社会のためにはいいのではないだろうか。

 そして社会の人たちも、そうした人たちを「分かった上で差別しない」ことが大前提だ。

 

刑事事件の報道を詳しくみていて、いつも思うのが「自分がその境遇に遭った時に、果たして思いとどまれるのだろうか」というくらい切実なシチュエーションはざらにある。

誰もが「場合によっては罪を犯す」かもしれないから、犯した罪はむしろ積極的に社会で償ってもらうような仕組みができればいいと思うがどうだろうか。

 

少なくとも「塀の中だけで長期間過ごす」というのは、本当の改善につながっていないように思う。

ベーシックインカム同様、こうした話も事前に議論ばかりしているのではなく、試行していく必要があると思う。