藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

昭和のバイアス(1)

*[次の世代に]本物の裁量労働へ。

自分が子供のころどうしてあんなに息苦しさを覚えていたのか。

今でも若者は大人たちの社会にどうして閉塞感を感じるのか。

思えば学生時代にも「閉塞していない人」はいた。

そしてその人たちは二種類に分かれていたと思う。

「現状の進路や目標に疑問を持たない人」と「親や学校の環境に縛られず、奔放に過ごせている人」だった。

前者の人には成績エリートが多かったように思う。

 

社会に出てみたらそうした「息苦しさ」は一気に解消した。

自分は中小企業に就職したので、「敷かれたレール」はなく、かなり自由にやらせてもらっていたが、同期の銀行とか大手メーカーに入った友人には「そこからの競争」に晒されてしていた人たちも多い。

こうして過去を眺めてみると、キーワードは『裁量』ではないかと思う。

中高生でも。

社会人でも。

もし自分が高校生の時に「将来なにを目指すのも、目指さないのも自由。思い通りで構わない」と言われていたら、一体どうなっていたか。

案外医学の研究者なんかになっていたかもしれない。

今思えば、偏差値教育の真っ只中で「全く自由などない」という意識が強かった。

これも"昭和の罪"だと思う。

 

結局、社会に出てからは、それこそ「自己判断」でその先をどうにかするしかないが、「それ以外の生き方」が思いつかなかったのは大きなバイアスだったに違いない。

(つづく)