*[次の世代に]本物の裁量労働へ。
自分が子供のころどうしてあんなに息苦しさを覚えていたのか。
今でも若者は大人たちの社会にどうして閉塞感を感じるのか。
思えば学生時代にも「閉塞していない人」はいた。
そしてその人たちは二種類に分かれていたと思う。
「現状の進路や目標に疑問を持たない人」と「親や学校の環境に縛られず、奔放に過ごせている人」だった。
前者の人には成績エリートが多かったように思う。
社会に出てみたらそうした「息苦しさ」は一気に解消した。
自分は中小企業に就職したので、「敷かれたレール」はなく、かなり自由にやらせてもらっていたが、同期の銀行とか大手メーカーに入った友人には「そこからの競争」に晒されてしていた人たちも多い。
こうして過去を眺めてみると、キーワードは『裁量』ではないかと思う。
中高生でも。
社会人でも。
もし自分が高校生の時に「将来なにを目指すのも、目指さないのも自由。思い通りで構わない」と言われていたら、一体どうなっていたか。
案外医学の研究者なんかになっていたかもしれない。
今思えば、偏差値教育の真っ只中で「全く自由などない」という意識が強かった。
これも"昭和の罪"だと思う。
結局、社会に出てからは、それこそ「自己判断」でその先をどうにかするしかないが、「それ以外の生き方」が思いつかなかったのは大きなバイアスだったに違いない。
(つづく)