*[次の世代に]あえて、ゆっくりと。
年を取ってきて驚くのは、つくづく何でも「前倒す」傾向になってきたことだ。
たとえば、本日の夕食についても「仕事が終わってから決めようか」ということができない。
下手をしたら、もう前日くらいから「明後日の朝は早いから、早めにお店に予約をしておいて…」というようなことを考えている。
そして自分より先輩をみれば、そうした「スケジュール主義」の人たちは案外多いことに気づいた。
多分これが「歳をとる」ということなのだ。
(したがってそういう兆候が皆無の若者は、まだまだ若い。)
若いと時間にも約束にもルーズでいられるが、それが「もったいない」と実感するのが老化の特徴なのだと思う。
「ルーズでいるだけの余裕がない」とも言えるだろう。
だらだらしている若者を見ると、もどかしいというよりは羨ましい。
(そして 自分もそんな"ルーズな若者"そのものだったのは、実に皮肉なことですが)
関西ではそういう性質を「苛(いらち)」というけれど、だからこそ年寄りは「苛立って」はいけないと思う。
先の短い人生を考えてせっかちになるのではなく、むしろそこでルーズに振る舞ってみる。
そういう態度が、実はどっしりとした様子になるのではないだろうか。
年寄りが時間を気にしてセコセコばかりしていては、若者が見ていて幻滅するのではないだろうか。
先は短くとも、どっしりと構えていたいものである。