藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

新旧思考

*[次の世代に]凝りほぐし。

物事は善悪や敵味方、常識か否か、と二元論でばかり考えてはいけない、と日ごろは自分にいい聞かせているのに。

最近、何かの新しい話を聞くたびに「旧式か新しいか」という基準で判断している自分に気づいた。

しかしこれはこれでいいのでは、という気がしている。

今が「何かの変わり目」だという感じがしているので、政治でも経済でも会社でも仕事でも人間関係でも「いかにも旧式のやつ」はポンコツになっていくだろう。

 

実に昭和な「旧式なままで頑ななこと」の多いこと多いこと。

だからそっちに紛れ込んではならない、と思っている。

物の所有=旧式 

富の蓄積=旧式

人の支配=旧式

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健康第一=新式

人間関係優先=新式

体験優先=新式

みたいな感じだ

 

面白いのは年齢に関係がないこと。

80歳を超えても新式な人と、20台なのに旧式の人もいる。

ただの合理主義ということではなく、「そういう人もいるよね」とか「そっちもあるよね」というのが新式の特徴である。

 誰か他人に対して「それはダメだぞ」と言っている自分に気づいたら「新旧」を確かめてみることをお勧めする。

 

ついつい"凝ったアタマ"になっていないか、ほぐして考えてみよう。