藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

新しい海の中で

*[ウェブ進化論]スマホの先、ではなく。

ひたすら近く。

携帯電話の出始めにも気づかなかった。

そのころはパソコンが、ソフトの入る「夢の箱」という感覚が先端だったと思う。

iPhoneが出てしばらくしてからだから、ほんの「ここ10年」のことだ。

今や動画を見るのも、お金を払うのも「スマホでできないこと」は弾かれつつある。

自分の目で間近に起きたことだけれど、時代の変化は驚くほど速い。

(けれど「鎌倉時代以降」くらいから以降、実はずっとみんな「はやっ!」と思っていたのかもしれない)

 

科学技術の発達が著しいここ300年くらいは、特にそう感じることが多いのだろう。

それはともかく。

今ほどスマホが「近い存在」になってしまって、果たしてこれからどうなるだろうか。

何か新しいデバイスが発明されても、少なくとも自分たちが"通信"から遠ざかるこはなさそうだ。

「ネットワークという麻薬」に一度浸かってしまった自分たちは、もうこの環境からは抜け出せないと思う。 

 

結局「これからの自分たち」は、いろんな"新しいデバイスたち"の登場に合わせて「ネットワークという海の中」で過ごしていくことになるだろう。

つまり、イヤホンとか、メガネ型のデバイスが重要なのではなく、自分たちが「どんな風にネットワークの海で過ごすのか」ということが問われてくるのだと思う。

 これまでの産業革命は、なんとなく「新大陸の登場」みたいな雰囲気があったようだが、今回は「新しい海の中」で過ごすくらいの違いがありそうだ。

 

人から魚へ。

そう思うと、今起こっている変化はまだまだとば口なのかもしれない。

これからの海での航海はどんな風になるのかを想像してみたい。