藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

本を読む人読まぬ人

*[次の世代に]ネットでいずれ深まる
医師とか薬学士とか建築士とか。
科学系の職業の人で、本や論文を読まない人はまずいない。
多分それが自分の仕事のスキルと直結しているからだろう。
一方ビジネスマンや起業家やサラリーマンでは「読む人と読まぬ人」にはっきりと分かれている。

 年に一二冊しか読まない人と、月に十数冊は読む人と。

弁護士など士業でも、自分の知っている分野のことしか興味のない人は結構多いことに気づく。
それはともかく。
 
「読んでいる量(インプット)」と「新しい発想の内容(アウトプット)」には、あまり因果関係がないように思えるのだ。
つまり「よく本を読んでいるから仕事ができるわけではない」ということだ。
 
むしろ滅多に本など読まない人が、ネットから最新の情報を収集したりして新しいビジネスの開発などをしている。
それだけ上辺の情報で、簡単な(でも受ける)ビジネスができる時代になっているのだと思う。
では読書はもう死んだのだろうか。
いやいやそうではないだろう。
 
これからは、すべての世代の人が「ネットワークありき」の中で生きていく。
そうすると、今は便利な「カーシェアのアプリ」とか「PtoPの送金アプリ」のような"道具のレベル"ではない「重要な存在」がネットの中で必要になってくるのではないかと思う。
いよいよこれからだ。
 
ネットの世界は時間と空間と処理量の制限がないから、ユーザーの声は現場から直接拾える。
ミャンマーの一般人と日本人のビジネスマンとの間で、経済発展をテーマに討論してみよう」とか。
「アルゼンチンの人とイギリスの人の若者に移民のテーマで意見交換してみよう」とか。
「ロシアと中国とアメリカの人に国の政策について意見交流の機会を」とか。 
まあ"朝生"国際版だ。ともかくやってみればいい。
できれば実名で、顔を見ながら「テーマを掘り下げていけば」新しいネットならでは、の文化が生まれてくるのではないかと思う。
(facebookは広告とかでなく、そういうムーブメントのリーダーをするべきではないだろうか)
 
そしてだ。
そうした際には多分、いろんな「過去の書籍や論文を読み込んでいる人たち」の知見に基づいた「深い対話」が現場で交わされるように思う。
先人の"叡智の塊"である書籍は、やっぱり読んでおいたほうがいいし、それが生きるのは「生の対話の白熱」にちがいない。