藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自由主義の時代(6)

*[ウェブ進化論]ゆっくり考えていた。

*これからのスタンダードは「社会資本主義」とか「新資本主義」とかいうものではなく、「自由と安定主義」になるのではないかという話をしています。

 

昭和の大戦後、物資極端に不足する時代に庶民は「安定」を心から望んだのだと思う。(野心家も多かったらしいが、今のインフレとは質が違ったようだ)

戦後の安定の象徴といえば、仕事なら「公務員とか金融機関」とか、資産なら不動産とか国債とか。

これらを果たして安定とみるか、それとも「不自由」とみるか。

「コップの中の半分の水」の話だ。

まだ半分あるか、もう半分しかないのか。

毎日定時に働き、定年まで40年勤め上げて退職金をもらい、定年後に自由になる人生。

あるいは借金をして不動産を買い、何十年も賃貸経営をする仕事。

半世紀前は、そういう生き方が憧れだったのだ。

そしてこれからの憧れは「自由だけれど安定」というちょっと矛盾するような志向性だが、そういう「第三の幸福」を目指していく時代が来ているのだと思う。

 

日本はベンチャーが育たない、企業の時価総額も低い、生産性が最低だ、とこの二十年言われ続けてきたが、「ただいたずらに"成長とか効率化"だけを考えるのではなく、それが自分の人生にどれほど必要か、ということをゆっくりと考えていた」のだとしたら、一周回って日本が再び思想的に注目されるだろう。

 

同調圧力がとても強い、と言われる日本人だが、案外ブームには乗り切らずに「ゆっくりと考える民族」なのではないだろうか。