*[ウェブ進化論]変わる縮尺。
今自分たちが過ごしている世界は、いわゆる先進国で、その日常は「お金のあるかないか」がダイレクトに生活のしやすさとか「豊かさや貧しさとかのの尺度」になっているようだ。
つまり、多少語弊はあるけれど“お金の有無こそが尺度の世界"にどっぷり浸かっているのである。
だからよりお金が必要だとか、お金がないと満足が得られないとか、投資でどう増やすのか、とかそういう議論が中心になっている世界だともいえるだろう。
一方、南半球の途上国などの話を聞くと、そういう「お金至上主義という色」はずいぶん薄いようだ。
生活の中心はお金ではなく、「自由な時間」を大事にするとか、「家族や部族の中のふれあいを優先する」とか、そんな自然な人間の生活を志向している人たちもいると聞く。
そして20世紀の主役だった現在の先進国は、みな揃って「高齢化」とか、「グロバリゼーションの限界」などの時事問題を問われている。
21世紀も序幕の20年が過ぎた。
さて自分たちは何を追いかけるのか、追いかけないものは何なのか。
を改めて判断する時代に来ているのではないだろうか。
'貧富'が無くなるかどうかはともかく、'貧富'が問題にならない時代にできるだろうか。