藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

批判の真意

*[次の世代に]悪い性格。

自分の性格がどれほど悪いのかを考えてみると、実はなかなかひどい奴だということに気がついた。(焦)

自分が生まれた関西地方は、(特に京都人など)他人の批判をまるで生きがいのようにするので、自分はそんな空気に辟易して関東に逃れてきたことを思い出す。

 

それはともかく。

なので普段自分が「なるべく他人の悪口を言わないようにしよう」と思っているのは、それを聞くのも嫌なものだし、何よりその「悪口を言っている人自身が一番醜い」ということを自分が知っているからなのである。

結局は自分の見映えのためなのか。

 

自分が言いたいことを好き放題に言い、他人に披瀝するのはそれと同じ位大きな反発を買うことが多い。

放言は自分には心地いいのかもしれないが、他人様には大きな迷惑な場合も多いと思う。

だから「相手が受け入れられないと思われる意見」はあらかじめ言わないようにするという「ことなかれ主義」になってしまう。

 

もしかしたら関西人は、そういったデメリットも承知であえて他人のために「自分、おかしいで!」などと会話しているのかもしれない。(この場合の「自分」は相手のことを指す)

 

それとも、やはり「ただ言いたいことを放言しているだけ」なのだろうか。

どっちの場合もあるのが関西人の厄介さのような気がする。