藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

当然のことから

*[次の世代に]気付いてから話をしよう。

先日菩提寺の住職から仏教の講話で「幸せは探すものではなく、気付くもの」という話を聞いた。

気づけば幸せは自分の周囲にあり、気づかなければそれは見えないと。

 

自分たちはよく「お金」とか「愛情」とか「家族」とかに不満を抱いたりする。

確かにそれは存在するのだが、「ないもの」を探していると「あるもの」に気づかなくなるのだ。

ひょっとしたらすでに「相当な幸せ」を手に入れているのに関わらず、まだ足りないものを探す。

餓鬼(常に飢えと苦しみに苦しむ亡者)である。

さすが仏の教えだ。

で、自分たちはしばしば「餓鬼状態」になってはいないだろうかと思ったのだ。

 

そして「経済成長と財政健全化」ばかりを声高に叫ぶ政治家やマスコミもそれに重なって見えてしまう。

「そもそも目指すインフラ」とか、そのための「最適な成長」とかいうことなく「GDPの成長なかりせば」とか「一人当たりGDPが」という議論に今の若者が関心を持つはずもない。

 

憲法改正云々、の話と同様に「着地点とか終わりとか完成」の話を抜きにして、どんどんと理屈を重ねて糊塗するから、本質の議論はどんどん遠ざかってしまう。

(政権与党というのはそういうことを狙ってしまうようだ。政治というのも恐ろしいものだ)

 

お釈迦様に気づかされたという話でした。