藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

支配との距離(1)

*[ウェブ進化論]支配の中で。
半世紀も前の自分が物心が付いたころに、お金とは何にでも交換できて実に魔法のように不思議なものだなぁと思った記憶がある。
お菓子でもおもちゃでもマンガにでも、なんでも変わることにただただ感心したのだ。
 
それが大人になるにつれて、どんどんそういった疑問を持つ感性はなくなり、現在のように"金こそ全て"という価値観にすっかり浸かってしまった。
ただ最近になって若者の行動を見ていると、そんな「ここ数世紀の悪夢」から少し醒めてきているのではないかとも感じる。
 
思えば大学の民法の授業で、冒頭に講師から「民法というのはあらゆる揉め事をお金で解決しようというための法律なんだ」と聞いたときにはギョっとしたことを思い出す。
(関西人はなんでもすぐに「なんぼや!」と聞くのだが、それは間違いではなかったらしい)
まだ純粋だったろう自分は、世の中本当にそんなことでいいのか?と途端に思ったものだが、それが世界中をほぼ支配している概念なのだと、なるとなんとなくその事実から納得せざるを得なかった。
 
そしてものを買うための手段だけではなく、「さらにお金を生むものにお金を投資し」、お金にさらに働かせるというようなことも社会人になって知った。
お金という手段を使って、それをさらに投資する頭のいい人がいるのにも「お金は実需のためにある」と思っていた自分は驚いたのである。
(つづく)