藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の綾(2)

*[ウェブ進化論]知識と経験と自分。

小説や伝記をいくら読んでも「よし、この道で生きていこう」ということにはなかなかならないものだ。(それでも手塚治虫ブラックジャックを読んで医者になったという人は何人か知っている)

 

そもそも自分たちは小学校あたりから文字を習い、いろんな教科を教わってきて現在に至っている。

なので「今の自分の知識や思考回路の、どの部分がオリジナルでどの部分が借り物なのか?」という問題の見分けが付かなくなっている。

 

今さっきwikiで見た知識も、自分なりの解釈を加えれば「自分オリジナル」だとも思えるが、そもそも「本当に自分固有の考え」なんてあるのだろうかと、時々思う。

(よく詐欺師に何度も騙される人がいるけれど、あれは恐らく「世の中にはそういう人たちが必ずいる」という知識が足りないのが原因だろう)

 

異性と付き合うのに「よし、この人を誘おう」と理性で考える人はあまりいないかもしれないが、自分たちが日々いろんな選択をするときに「知恵や知識」がどの程度関与しているのか、それとも知識ではなく「感情とか感性」が主導しているのか、さらにはその感情とか感性も実は「これまでの経験とか知識から得たもので作られているのではないか」、などと考え出すとキリがない。

 

外部から得た知識と、自分の経験とを織り交ぜて作り出すのが「自分の感性」ということなのだろうか。

(つづく)