藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

大前提(3)

*[ウェブ進化論]新しい関係。

少子化が本当に憂うべきことなのかどうか」ということは、これからが主役の若者を中心に考えてもらい、将来の国造りについて自由に議論してもらうような舞台設定こそが急ぎ必要なのだ。

で、おじさん、おじいさんたちは議論の主役から早々に撤退してもらいた。

それはともかく。

 

戦中の「産めよ殖やせよ」というスローガンはそうやって聞いてみると実に怖い響きを含んでいる。(子供を五人以上産むように、とのことだった)

 

自分は「家族を持つこと」の判断というのは、実に自然でもあり、けれど今の時代には悩ましい決断だと思っている。

どちらにも正解はないし、またどちらかの道を後戻りして検証することも叶わない。

最近よく「結婚や、子供を産むメリットとデメリット」という話を目にするが、そういう現代の合理性の話でもないと思う。

 

パートナーとか、家族とか親子とか。

そういう関係の意味が実は変わってきているのではないだろうか。

 

昭和の同調圧力の流れは未だ強く「家庭を持って、子供を作って親の世話をして」という空気は強く「それ以外の選択肢」についてはあまり語られていない。

そして"結婚とか子育てとか介護の失敗例"についても、あまり取り上げられていないと思う。

 

「"ニュートラルな選択肢を考える機会"を若者に提供する」ということだけが、大人世代の役割なのではないだろうか。

 

大人は選択の是非については黙っているべきだろう。