先日、顧客サービス企画の会議中、
顧客への「状況報告の重要さ」が話題になった。
主旨は、マメに状況報告をして、顧客満足度を上げよう、というものだが、「報告」はそれ以上に必要なものらしい、と気づく…
・「頼みごと」の進捗が分からないと、人は「苛立つ」。
進んでいるのか、いないのか。
なぜか?
「意に沿わぬ状況だったら、すぐに善後策を立てたいから」か。
「報告しない」ってどういうこと?
不測の事態が起きたら。
相談があれば、共に考えた。
事態の行方はともかく、「状況の共有」ができた。
結果が「失敗」に帰しても、自分が知らされていれば、納得が行く。
知らされなかったら?
納得しにくい。
自分が関与できなかったからだ。
突然「失敗」が発覚。
残念。
というより、無念。
自分が、結果に責任を負う立場になくとも、そんな感情が湧く。
そう、「報告しないこと」は、
「相手(上司)を参加させないこと」なのだ。
暗に「排除している」、といってもいい。
これはマズローの第三(参加)の欲求違反。
重い。
さらに人は、自然に、自分の関係者には「よく」なって欲しい、と願う。
また、そうなるように「施してあげたい」という思いも持つ。
相手に「貢献し」、「よく思われたい」のは自然な欲求だろう。
これはマズローの第四(認知)の欲求か。
満足って遠くない。
ちょと脱線した。
つまり、「報告せず」起きた「イヤな結果」。
はその途端に
「やる気の失せる」イヤな仕事、に変身する。
昨日のエントリ、
・「自発性のすごさ」と
・「指示」への「期待度」の添付。は、
「やる気の失せる仕事」を生み出さないための方法。
同様、
「マメな報告」は
上司やクライアントの「疎外を防ぎ、参加させる」方法だ。
単なる報告、とナメてはならぬ。
そういえば、「仕事のデキる奴」はこの点、ぬかりがない。