藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

[失敗の共有]モチベーションの重要度。―その2

先日、顧客サービス企画の会議中、

顧客への「状況報告の重要さ」が話題になった。



主旨は、マメに状況報告をして、顧客満足度を上げよう、というものだが、「報告」はそれ以上に必要なものらしい、と気づく…


・「頼みごと」の進捗が分からないと、人は「苛立つ」。

進んでいるのか、いないのか。



なぜか?


「意に沿わぬ状況だったら、すぐに善後策を立てたいから」か。


「報告しない」ってどういうこと?

不測の事態が起きたら。



相談があれば、共に考えた。



事態の行方はともかく、「状況の共有」ができた。



結果が「失敗」に帰しても、自分が知らされていれば、納得が行く。


知らされなかったら?


納得しにくい。


自分が関与できなかったからだ。



突然「失敗」が発覚。


残念。


というより、無念。


自分が、結果に責任を負う立場になくとも、そんな感情が湧く。

そう、「報告しないこと」は、


「相手(上司)を参加させないこと」なのだ。


暗に「排除している」、といってもいい。



これはマズローの第三(参加)の欲求違反。


重い。


さらに人は、自然に、自分の関係者には「よく」なって欲しい、と願う。


また、そうなるように「施してあげたい」という思いも持つ。



相手に「貢献し」、「よく思われたい」のは自然な欲求だろう。



これはマズローの第四(認知)の欲求か。



満足って遠くない。

ちょと脱線した。


つまり、「報告せず」起きた「イヤな結果」。

はその途端に

「やる気の失せる」イヤな仕事、に変身する。

昨日のエントリ、

・「自発性のすごさ」と

・「指示」への「期待度」の添付。は、

「やる気の失せる仕事」を生み出さないための方法。


同様、

「マメな報告」は

上司やクライアントの「疎外を防ぎ、参加させる」方法だ。


単なる報告、とナメてはならぬ。




そういえば、「仕事のデキる奴」はこの点、ぬかりがない。