藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

政治家の因果

本業の前に

政治家と親しくなることなどつい最近までなかったのが、間近で見ると色々とあるものだ。
西松建設事件で問題になっているパーティ券など。
いっぱしの議員先生の秘書たちの懸命なこと。

朝からバンバンテレアポしている。証券会社なみ、いや昨今の証券会社はもうネットに移行して、あまりやらぬから、それ以上か。
ともかく必死。


「スミマセン。パー券の件なんですけれど」
「はあ。パーケン。」
「何枚かお願いできないスか?」
「はあ。でも来週、予定が詰まっていて」
「あ、いいんスいいんス。来てもらわなくて。ゼンゼン」
「はあ。行かなくていいパーティ…」
「ええ、ええ。まったく気になさらないでください」


んなことを議員の事務所の人たちは年中やっている。 まったく。

政治家の嘆き

ある政治家は言う。
「昔はこんなではなかった。」と。
曰く、政治を担当し、政策の方向を示して、官僚に作らせ、政党内をまとめ、文字どおり舵取りをする。
資金調達はいつの時代も大変だったが、「裏方」となる政財界のいわばフィクサーの役割で、肝心の政治家自らがパーティー券の売れ行きに腐心などしていては、本業が覚束ないと。


政治家、というものも今の時代、様変わりか。 何だか悲しくなってくる。

けれどここも透明化せねばならぬ。
逆戻り、はない。

献金などとのもたれ合い構造は白日のもとに晒され、次のやり方を模索する。

膿は出し切らねば。