藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

怒涛のごとく。


電子書籍がノ(伸)している。

この一カ月の売れ行きではハードカバーの1.8倍。

エラい勢いではないか。
何だかんだ下馬評はあったけど、普及してみればネットの波の威力は予想を超えているのかもしれない。
いろいろと、読み心地とか、携帯性とか一覧性とか、いろいろと言われていたけれど。
ここ数年の端末の通信の高速化とか、解像度や大きさの工夫とか、携帯性とか、そんないろんな努力はある「閾値」へ向けてばく進していたのかもしれない。


自分などは申し訳ないが結果を見て、その原因やプロセスを類推するしかないが、電子書籍が支持されている、というのはそういうことではないだろうか。

もう一般書籍は「がわ」と「中身」が分離した存在になる。

「がわ」は端末として、デジタル技術を駆使し、リンクや解像度や通信速度や、記憶容量で圧倒的な存在になる。
思えば「携帯性」が問題になるのも数十冊までで「一冊対一万冊」になれば比べるべくもない。

コンテンツのこれから。


そういう意味では、これからも携帯端末はより高精細に、軽く、大容量になってゆくのだろう。
ではコンテンツはどうか。
例えば夏目漱石、という時には、その作品の本文はともかく。
直筆の原稿とか、それにまつわる書評とか批評とか。
あるいは文化的な位置づけでの評論とか。
漱石の作品に当たっていれば「司馬遼太郎漱石論」も同じカテゴリーに集められ、観賞できるようになるだろう。

アナログが一番苦手としていた「名寄せ」とか「キーワード連鎖」などが縦横無尽に可能になる。
それがコンテンツの中のデジタル革命だろうか。

電子書籍の時代に、その持ち味は圧倒的な「コンテンツの集積力」ということになるような気がする。

ベートーベンのピアのソナタを音源に聴きながら(もちろん数百の音源がある)、その時代背景を解説したライナーノーツを捲(めく)りつつ、同時代のゲーテシューベルトモーツァルト、そしてベートーベンを評価しつつ、互いに曲をつけたりしていた様子が、次々とインターネットを通じてリンクする。


それには過去の演奏家から現代の若手までの映像(無料)もリンクしているし、一たびその気になれば、その場で有料コンテンツの視聴に本格的に入ってもよい。

あらゆるコンテンツをいかようにも集め、加工し、購入できること。

これが来るべき「ソフト・コンテンツ時代」の妙味ではないだろうか。
印刷文化、印刷媒体から離れ、いよいよ「コンテンツ主導の時代」が幕明くのかもしれない。


ただの本好き、音楽好きとしては、そんな夢の「作品世界」を夢想する。


本当の進化はこれから始まる。

米アマゾン通販、電子書籍販売冊数がハードカバー本抜く
【ニューヨーク=山川一基】米ネット通販大手アマゾンは19日、同社の通販サイトでの電子書籍の販売冊数が、ハードカバーを抜いたと発表した。
ただ、同社は部門別の販売冊数や売上高を公表していない。
日本の文庫や新書に相当するペーパーバックの取り扱いも多いため、「電子」が「紙」を抜くにはまだ時間がかかるとみられる。


アマゾンの通販サイトでは現在、63万タイトル超の電子書籍をそろえる。
今年上半期の電子書籍の売れ行きは昨年の3倍以上という。携帯端末に本をダウンロードして楽しむ読書スタイルが急速に普及していることが背景にある。


同社は自社開発の携帯用電子書籍端末「キンドル」や、アップルの携帯情報端末「iPad(アイパッド)」向けに、ネット経由で電子書籍を売っている。
この1カ月間をみると、電子書籍の売れ行きはハードカバーの1.8倍に達したという。


ハードカバーしか発売されていない本もまだ多いため、ジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)は「電子書籍販売に参入して3年弱ということを考えれば驚嘆すべきことだ」とコメントした。


米出版者協会によると、5月の電子書籍の米国での売上高は前年同月の約2.6倍に当たる2930万ドル(約25億5千万円)。
同月までの5カ月間では、電子書籍に進出した大手出版社13社の売り上げに、電子書籍が占める割合は8.5%という。


アマゾンは1995年、本のネット通販を開始。
その後、音楽CDやDVD、家電などの販売にも乗りだし、米最大のネット通販会社となった。
2009年の売上高は245億ドル(約2兆1千億円)。