藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

過去と未来を比べる。


今(過去)の自分とこれからの自分を比べてみる。
そういう試みそのものが加齢の象徴だろうか。
正直な感想では「半分半分」な気分である。
過去を振り返っても「ずい分長いなぁ」と思うが、まだ未来もストンと見通せるほどの距離感ではなさそう。
かといって、過去とこれからを比べても「これからの方が長い」という気もしない。

これから、に伸ばすものは


過去にしがみつくほどのものもないけれど、気になるのは「自分のこれから」に何があるのだろう、というような「漠然とした見通しの悪さ」である。
十代、二十代と特に、実に壮大な無駄をしてきたという自覚がある(三十代はけっこう一杯いっぱいかな)が、そろそろそんな「ムダたち」を瓦礫の山に見立てて、何かの作品を作ってみたいような感覚である。
今まで作ってきた色んな部品とか、古いモーターとか、素材の良く分からないハギレとか、そんなものを集めて「新しい何か」とか「作品」のようなものはできるのだろうか。
それとも、さらに瓦礫の山が大きくなるだけだろうか。
それともその山は小さくなってゆく、ということはないだろうか。


自分の性分としては、巨大なピラミッドを残すというよりは、何もない「つるんとした平原」が最後に残った姿かなあ、という気がしている。


本年もよろしくお願いします。