先週ずっと岡田監督のインタビューを見ていて、改めて思う。
「最終的には"自分の登りたい山"が「美しく存在するか」ということ」が核心だった。
矛盾するようだが、リーダーが戦略を考え、
強い意志決定をし、
チームのモラル管理も行い、
ついにはスタッフの「自主性」を引きだし、
リスクは「こちらで」負担する。
そんな要件を満たしながらも、さらに「リーダー自身が自分の登りたい、しかも美しい山を持っているか」ということが大事だという。
結局「人が付いてくる」というのはそんなリーダーの「孤高性」にあるということなのかもしれない。
どこかのリーダーとして
今の世の中、町内会でも、学校でも、家庭でも職場でも、自分たちは「何かのリーダー」である場合が多い。
そんな時に、それぞれの立場で「自分の登りたい山」を指し示すことができるだろうか、と思うのである。
会社なら、その会社のビジョン。
家庭なら「こうあれかし」という理想。
友人同士でも、クラブの中でも。
そう考えると、日々の営みの中で「相手校に勝つ」とか「売上20%アップ」というようなことを考えるのは容易である。
が、「いつか遠い先に到達したい理想郷」を常に心に持っている、ということは意外に大変ではないかと思うのである。
先にある遠大な目標を持とうとすれば、それに応じた毎日の積み重ねが必要になる。
いきなりマッターホルンを目指しても、それは単なる夢想である。
合理的に「いつかあの山の頂まで」という目標を持ち、またその目標を維持し続けるというのはなかなか容易ではない。
それが証拠に、大抵の経営者に「将来の夢や目標は」と訊いてみても、あまりピンとこないものが多い。
取ってつけたように「シェア世界一」とか「IPO」とかいう話しかないのは、そこまで深く考え込んでいないということ。
その人が真摯に考え、努力の果てに目指す大きな山、というのは一朝一夕に立ちあがってくるものではないのである。
さて。
そうすると夢とか目標、というのも「私はこれです!」と胸を張って言えるものを打ち立てる、というのはそれはそれで大変なことなのだ。
だから「私には夢があります」というだけで、相当大したものだということである。
♭fujino♭