藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

優れたデザインに学ぶ。


asahi.com 山崎亮・京都造形芸大教授の特集より。
いくつかの紆余曲折を経て、コミュニティ・デザインという職業に就いたという山崎氏。
今に至るまでの物語も興味深いが(まだ30代の終わりという若さだが)、彼が語るいくつかの言葉には目を惹く表現が多い。

「デザインを英語で記せばde−sign。つまり、記号的な美しさ(sign)から離れて(de)、課題を解決することこそが本来の意味なのです」

ヨーロッパの「伝染病の蔓延を防ぐための高床機能」の例を引いての指摘。
なるほど。デ・サインと。

「もっとも豊かな人生を過ごした人というのは、他人の人生にプラスの影響をたくさん与えた人である」

これも一つの表現だが、過去の経験を経て培われた彼の哲学なのだろう。
数々の地域から請われて、50余ものプロジェクトに引っ張りだこだという彼の特徴を記者はこう表現している。

<1.待つ力>
徹底的に住民の声を聞き、定石を押し付けず、「住民主役」の姿勢を徹底するという。
住民は"まるでスイッチがはいったかのように、自らの責任で動き出す"。
<2.離れる力>
『山崎はプロジェクトにかかわるときに、こう宣言する。
「僕は3年後にはいなくなくなりますから」』当たり前の話だが、結局「専門家ではあるが、あくまでアウトサイダー」としての立場をはっきりさせることで、参加者が「自分の望む暮らしを考え、自分で作り、守る」という主体意識をここでも植え付けているのである。
<3.解く力>
詰まる所、コンサルタント的な「自発思考をさせるメソッド」と「それらの意見を集約する力」の集積ということだろうか。


記者も指摘しているが、今の時代、特に政権が後退してからの行政の混迷ぶりは、まさに目を瞠る思いがするのは、現代に生きる人の共通した時代観だと思う。
また地方分権、も言われて久しいが「おそらくその辺り」にこれからのビジョンがあるだろうことも、皆うすうすは感じていることでもある。
山崎氏のやり方は、そんな次世代のロールモデルではないか、と思った。

それは、webで量産するということではなく、ベタッとした人と人のつながりを核に、必要な部分ではIT技術をうまく駆使する、という「ハイブリッド型行政」のお手本のような気がするのである。

これからの政治家・官僚のお手本は、なんとデザイナーにその姿があった、というのは実に面白い話題だと思うのである。

 第一の理由は、待つ力。山崎は徹底的に住民たちの声に耳を傾け、本当に望んでいることは何かをあぶりだす。ただ、決して「正解」を押しつけることはしない。住民たちの思いのなかに潜む問題の本質を見抜いて、具体的な解決策を練り上げる。あくまで主役は住民。そうすることで、まるでスイッチが入ったかのように、住民たちがみずからの責任で動き出すのだ。
 第二の理由は、離れる力。山崎はプロジェクトにかかわるときに、こう宣言する。
「僕は3年後にはいなくなくなりますから」
 行政をはじめとする「誰か」に文句を言って溜飲を下げたり、不満を吐き出したりするだけの「おまかせ民主主義」では何も変わらない。ひとりひとりが自分たちの望む暮らしを自分たちの手でつくり、自分たちで守っていく。それこそが、経済成長を見込めない時代の「幸せ」モデルになる。山崎は「ヨソモノ」であるがゆえに、利権やしがらみから距離を置き、過去の制度や方法からも自由に、住民が望み、地域が生き返るために必要なものを柔軟に発想できるのが強みだという。
 その結果、地域やテーマが限定されているとはいえ、問題が解決され、地域の特性を生かしたまちが生まれる。中央集権システムの頂点で決められない政治家やリーダーが右往左往しているのとは対照的だ。この解く力こそが、第三の理由だろう。

(7)問題解決こそ、デザインの本質


「スタッフとのブレインストーミングが何より重要」と、山崎亮は言う。
穂積製材所で都会の人を呼び込んでの家具づくりセミナー。この秋から、本格的に始まる。
学生もまじえ、意見をかわす。目の前の模造紙はみるみるうちに書き込みで埋まる。
地元の大工さんと学生が協働して宿泊者用コテージをつくった。

 人と人をつなぐデザインに特化した事務所を立ち上げたのは2005年。「studio−L」と名づけた。「L」は人生、生活、暮らし、命などを意味する「Life」の頭文字から取った。
「これまでの生活を変えなければ、目に見える風景も変わりません。どうやったら人々の暮らしに『シアワセ』をもたらすことができるか。そのお手伝いをしたい、という思いをこめました」
 事務所の壁は天井まで本で埋まり、蔵書は千冊にもなる。「知の海」と表現したくなるような空間で、山崎はスタッフとのブレインストーミングを繰り返す。議論の最中でも、思いつけば棚から本を取り出して事例を調べたり、資料で確かめたり。大きな模造紙をテーブルに広げ、課題を書き込みながら解決のためのアイディアを出し合う。それも10や20ではない。
「アイディアは質より量。ひとつのテーマについて300を目標にしているんです」
 そうすることで問題を多角的にとらえられるだけでなく、あるアイディアが別のアイディアと化学反応を起こして新たな着想が生まれることがある。そのため、日頃から膨大な情報を集めるだけでなく、国内外の取り組みについての研究も欠かさない。
 ものをつくるのではなく、人と人をつなぐ。それにはアイディアが生命線となる。だから話し、調べ、考える。そのサイクルを重ねる事務所は、山崎にとって「思考のスタジアム」なのだろう。
 仕事場は、大学時代にオーストラリアに留学したときの演習室のイメージという。メルボルンの市街地にある大学は校舎が手狭なため、学生たちは20人ほどが集まって共同で部屋を借りていた。そこでは宿題をこなし、建築模型をつくり、議論を繰り返した。才能とエネルギーがぶつかりあうその空間は「studio」と呼ばれていた。語源をたどれば「stadium」。熱狂が生まれる場所ということになる。
 事務所の本棚には、近代建築の巨匠ル・コルビジェが1924年に刊行した『建築を目指して』もある。その文末には、こう記されている。
〈建築か革命か〉
 かつて、ヨーロッパでは下水道も通っていないような長屋が伝染病の温床となっていた。そこで、長屋の床を浮かせ、太陽が差し込み風が抜ける構造(ピロティ)をつくり、まわりに緑地を配することで伝染病の蔓延を防いだという。このまま問題が解決されなければ市民が革命を起こすといういうほどの切迫した状況で、建築(デザイン)が重要な役割を担っていたのだという。
「デザインを英語で記せばde−sign。つまり、記号的な美しさ(sign)から離れて(de)、課題を解決することこそが本来の意味なのです」
 これまで多くのデザイナーが生みだしてきたのは「きょう新しくても、あす古くなってしまう」ものだ、と山崎は言う。日々、新しいデザインが登場するため、消費者はいつまでたっても満たされることがない。その欠落を埋めようとするかのように、「もっともっと」と欲求を膨らませる。日本では、30年前と比べてGNPは30倍、所得は7倍以上になったというのに、生活満足度はほぼ横ばいのままだ。
「どこにもない奇抜なカタチを探りだすのではなく、社会が求めているのに世の中になかったカタチを考えるほうが僕には魅力的に思えるんです。商品を売るより、社会的な課題を乗り越えるためのデザイン。まちのシアワセにつなげるカタチを生み出したい」
 ところで、山崎はさまざまなプロジェクトで生まれる利益の一部を株主である自分の懐に収めるのではなく、「公益事業」の投資に回している。「NPC(Non Profit Company)」。直訳すれば、利益を求めない企業。語義矛盾のようだが、山崎は真剣だ。
「利益を目指すことを第一にすると、時間をかけずに、こちらのアイディアを押し付けて、目先の成果を追い求めかねなくなる。そうすると、地域の人々が何を求め、どう暮らしていきたいのかが置き去りになる。彼らが求めるものを探り当て、彼らが『主役』となってもらうために、プロジェクトは試行錯誤を繰り返しながらゆっくりと進めていくことが大切だと思うのです」
 そのひとつが、三重県伊賀市で進める「穂積製材所プロジェクト」。3千平方キロメートル以上ある元製材所の敷地で、林業の再生と中山間地域の活性化をつなげる試みだ。都市住民を倉庫に呼び込み、地元のスギやヒノキなどの針葉樹を使った家具づくりスクールを始める。製品化によって生まれた収益を、本来の植生である照葉樹林の森を取り戻し、多様な生物がすむ環境づくりなどに充てる。
「もっとも豊かな人生を過ごした人というのは、他人の人生にプラスの影響をたくさん与えた人である」
 山崎は、19世紀の美術評論家の言葉を引きながら、そうした豊かさを目指したいのだと語る。この春、その製材所内に「studio−L」の支店ともいえる第2オフィスをつくった。=敬称略 (諸永裕司)
プロフィール

山崎 亮(やまざき りょう) 1973年生まれ。studio−L代表、京都造形芸術大学教授。地域が抱える課題を、地域に住む人々が解決するコミュニティデザインの第一人者。「海士町総合振興計画」「マルヤガーデンズ」でグッドデザイン賞を受賞。
 著書に『コミュニティデザイン――人がつながるしくみをつくる』『つくること、つくらないこと』(以上、学芸出版社)、『コミュニティデザインの仕事』(BIOCITY50号記念増刊号)、『幸せに向かうデザイン』(日経BP社)、『まちの幸福論』(NHK出版)、『地域を変えるデザイン』『海士人』(英治出版)など。