藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

心の位。

大企業入社、がゴールではないこと。
医師や弁護士、ph.Dの資格取得がゴールではないこと。
企業とか、上場とかがゴールではないこと。
起業とか、出世とか、リタイアメントがゴールではないこと。

そんな「マインドの維持」が何よりも重要なのである。

ゴール感の渇望

思えば、特に狩猟民族ではない現代人は、こうした「ゴールへの達成感」を求めて過ごしているのではないだろうか。
今日明日、「食うや食わず」の生活ではそうした達成感は得にくい。
だが、成熟したいわゆるホワイトカラーの社会では、「食えるかどうか」という話ではない"独自の価値観によるゴール"を皆が求めているようにも思う。

政治家。
企業家。
エリート。
資格者。
学者。
インテリ。
いろいろとカテゴリーはあると思うが、みな「ここがゴールであり、ゴールを超えた」という"妄想"を抱いていたいのである。

なぜだろうか?
それは「解放願望」だろう。

もしゴールがないとすれば、それは「果てしのない追求の続き」になる。

実は本当の高みの追求とか求道というのは、そうした「終わりのない道の工程」だと思うが、自分たちは本能的に「もう終わり」を求めて楽になりたい、と願うのである。
そりゃそうだ。

けれど、真の道というのは「そういうもの」ではない。
まあそれもよく分かってはいますけれど、ね。

まあちょっと休憩するくらいのつもりで「一応ゴールはクリアした」などと言ってみたいのも人の心情ではある。
ただ伊藤さんの言うように「安易なゴール」で満足して努力を忘れては、あとは自堕落である。
成長せぬばかりか、腐ってゆく人も多い。
人はその"持てる才能"よりも精神によって支配される。というのは恐ろしい事実である。

何事にも満足せず、さらに上を目指しつつ、全体に思いを馳せる。

名人と言われる人は、そうしたマインドセットを自らの心中に作り出せる人に他ならない。
少しでもそんな「精神の高み」に近づくべく、精進あるのみ、と思いたい。

くれぐれも、入社試験に阿(おもね)る必要はない。

「大企業入社、ゴールでない」 就活に臨む君たちへ 京セラ伊藤相談役

2014年春に卒業する大学生の就職活動が今月、本格的に始まった。会社や仕事をどう選ぶべきか、戸惑いと不安を感じながら、企業の説明会などに出向く学生は多いだろう。様々な社会経験を積んだ経営者、先輩企業人に、自分たちの若い頃はどうだったのかを踏まえ、学生へのメッセージを送ってもらう。

1回目は京セラ社長を1989年から99年まで務め、現在は同社相談役の伊藤謙介氏から。伊藤氏は「まっすぐに将来を信じて社会に参加してほしい」などとエールを送った。

――就職環境は改善の兆しも見えるが、長らく厳しい状況にある。どんな心構えで臨むべきか。
「確かに環境は厳しいと思うが、先進国の企業が活躍できる余地は、貧困の解消に役立つ技術をはじめ、世界的にまだまだたくさんある。社会に貢献して、人生を充実させようという考えを根底に持ってほしい。世の中を斜に構えてみるようなネガティブな考え方をしたら、各人のせっかくの能力を生かせなくなる」

■「就職はゴールではない」
――大企業を志望し「狭き門」と感じている学生も多い。
「もちろん大企業に入るのもいいが、その大企業の業績はあくまで『過去の努力の結果』。大手であれベンチャーであれ、新人は『ゼロからのスタート』でこれからの活動に参加する。大企業に入社するのがゴールだと誤解しないでほしい」
「そう考えれば、希望と違う会社に入ったり、学校での専門分野と異なる仕事に就いたりすることになっても、くよくよすることはない。最初に与えられた仕事を天職だと思い、懸命に取り組む覚悟があれば、道は開けてくる」

――高校卒業後、京都の碍子(がいし)メーカー、松風工業に就職し、現在の京セラ名誉会長の稲盛和夫氏に出会った。
「特殊磁器と呼ばれたセラミックスを開発する特磁課に配属され、そのチームリーダーが名誉会長だった。労働争議があって赤旗がはためく中で、特磁課だけが仕事に燃えていた。そのリーダーシップにすぐに引かれた」
いとう・けんすけ 1956年(昭31年)倉敷工業高校卒、松風工業入社。59年京都セラミック(現京セラ)の創業に参加。75年取締役、89年社長、99年会長。2009年から現職。岡山県出身、74歳

「入社3年目頃に『独立して会社を興したい』と現在の名誉会長に声をかけられた。すでにこの人に付いていこうという気持ちになっており、京セラの前身、京都セラミックの創業に参加することになった。少々眠くても、日々難しい仕事にチャレンジするやりがいがあった。素晴らしい出会いだったと思う」

■面接官の態度で会社見極め
――就職する会社でいい先輩に巡り会えるか、不安な学生も多いだろう。
「入社試験には『面接官をこっちから面接する』くらいの気持ちで臨んだらどうか。面接官もその企業の風土を体現する社員だ。学生に対して『新しい仲間を迎えるんだ』という気持ちで接しているか、単に『上から目線』で質問しているのかは、言葉遣いなどから見極められると思う」
「面接会場に案内してくれる人を含め、社員が一定の敬意を持って人に応対している会社かどうかは感じ取れるはず。昔と違ってインターネット上に初任給など数字上の条件が色々出ているが、社内の雰囲気や働く人の姿勢を知ることの方が大事だと思う」

――やりがいを感じられる仕事が見つかるかどうかも若者の関心事だ。
「稲盛名誉会長は『機械が泣いている声が聞こえないのか』と我々に叱咤(しった)することがあった。機械に不具合が起きたら、すぐに現場で察知できるくらいに感覚を磨かないとダメという意味。難しいが、努力を続けると少しずつわかってくる」

「『石の上にも三年』という言葉の重みを、年々感じるようになった。少し苦労すると、その仕事が嫌になるという若い人もいるようだ。だが、脇目をふらず『一心に頑張る』心構えで働くことで、仕事の本質も見えてくると思う。当社が中途採用をする場合でも、履歴書に何度も転職歴がある人よりも、何かに長く取り組んできた人の方が有望な場合がほとんどだ」

――これから社会に出る若い人に伝えたいことは。
「うちの若手社員らへの研修では、日本は歴史的にきめ細やかなものづくりが得意で、その遺伝子が今も息づいており、世界に誇れる分野が数多くあると話している。すると『久しぶりに元気が出ました』といった声が次々に返ってくる。日本社会への悲観論が目立っているが、まっすぐに将来を信じて社会に参加してほしい」

「稲盛名誉会長と出会えたのは幸運だったと思う。人生には運が絡んでいることも確かだろう。ただ、人知れずとも前向きに努力している方が、幸運に巡り合いやすいような気がする」
(聞き手は福田芳久)

▼私の若い頃は
岡山県の倉敷工業高校を卒業後、知人の紹介で就職したのが京都の松風工業だった。数年は仕事を一生懸命やって、生活基盤ができたら大学に行こうと考えていた。会社の経営状態が思わしくないことを入社してから知るような状況だった。

労働争議が頻発する会社のなかで、配属された特磁課は新分野のセラミックス製品の開発・生産に夜まで奮闘していた。リーダーの稲盛和夫・現京セラ名誉会長の熱意がすぐに伝わってきた。入社後、夜は同志社大学に勉強に行くようになったが、学校から戻って現場に出ることもあった。

月給5千〜6千円の時代に、ビールは120円ほどした。京都駅前の小さな居酒屋で先輩たちと語り合うのが楽しみだった。5つ年上の稲盛さんは仕事の夢を熱く語っていた。

その先輩の創業に参加したが、しばらくは京都市内の会社の近所でも、京都セラミックという社名を言っても通じない。そんな小さな会社のスタートだったが、皆で夢を持って努力できたことが幸せだったと思う。
日経産業新聞2012年12月11日付]

日経産業新聞のビジネススキル面で、11日付の紙面から4日間にわたって連載する予定です。2回目は日本IBMの女性執行役員で子育てなどを乗り越えキャリアを積んだ志済聡子氏、3回目は中小企業を代表して医療用具メーカー、アルケア社長の鈴木訓夫氏、4回目は雇用の専門家の視点からリクルートワークス研究所大久保幸夫所長に、就活生へのメッセージを語ってもらいます。