藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

努力と成果の話。

例えば、世界制覇を目論む、バビル二世のヨミ様。
あるいは、ミラーマンとインベーダー。(ふるっ)
仮面ライダーのショッカーとか。

彼らは「悪」とか「世界征服」とかをひたすら追求することで生きていた。
もう、そのために科学技術とか、格闘技とか、チームワークとかマネジメントも一流にせねばならないし、また軍略にも長けていないと、広い世界の陣取りにも失敗する。
(今思えばもう50年も前から、彼らはワールドワイドに世界征服を唱えていた。なかなか進んでいたものである。)

ところが、世界中に「闇の研究機関」とか「アジト」などを作り、しかもお手盛りではないオリジナルの兵器や改造人間などを生み出してゆくという、あの苦労はもはや「表の世界」でも並大抵の苦労ではない。

表があった故に、アウトロー的志向から闇になったのかは定かではないが、つまりどちらにせよ「世界レベル」に達するには相当な努力がいる、ということは見て取れる。
たまたま、叛骨的に、反体制的に「正義の味方」の側に与せず「裏の道」を選んだに過ぎず、傾注する努力と忍耐は並ではない。
陰と陽、つまり正義と悪は、互いに対になってこそ、互いを確かめ合うことができるのである。

悪の世界に魅かれる、というのは何となくわかる気もするが、「その道」を貫くのはなかなか大変なことであるし、単に成功したいのであれば、堂々と自由にやる「表の世界」のほうがよほどやり易いに違いない。

結局、自分たちは基本的なキャラクターの色はあるにせよ、そうした「何がしかの道」を追求することが人生を生きることと同義なのだろう。
その道に入ったからには、もう極めるしかないのが人の業でもあるのである。

もともと書きたかったのは貧乏性の話だったんですが。