藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

試行錯誤を超えて。

義務教育で金本位制とかプラザ合意とか、ブレトンウッズとかニクソンショックとか。
結局統一の国際通貨(バンコール)は実現せずにドルになって今に至る。
というような通貨の歴史に加え、今の為替や金融を分かりにくくしているのが"金融商品"である。

不動産や債券の証券化とか、ヘッジファンドの理屈を説明されて構造は理解しても、商品の実物を見て何者かを判断するのは極めて困難である。
デリバティヴなどは構造の理解も自分には難しい。
そんな「金融高額商品」が世界中を駆け巡って運用されていることが今の国際金融市場を「得体のしれないもの」にしていると思う。
サブプライムローンだって証券化しなければ、ただの不良債権で済んだものを「どんどん分かりにくくして拡散・埋没させる」のがこれまでのはやりだったのである。

ドルの影響力がこのまま地盤沈下を起こすのか、それとも強いドルが復活するのでしょうか。

講義の中では、これからの中国と「元の台頭」についても触れられているが、正直今の中国がそのまま統率のとれた経済成長が続けられとは到底思えない。
もうドルもユーロも円も元も「どれか」が覇権をとる時代はこないのではないだろうか。
いよいよ国際通貨が採用され、つまりは世界経済も「ある統制」を前提にする時代に突入するのではないかと思うのである。
それほど今の国際市場は濃淡が付きすぎ、しかも不安定であると思う。
近々一度は大波乱が起きるかもしれないが、その後は世界規模の「通貨統制の時代」が来るのに違いないと最近思っている。

元々経済の主役は通貨ではない。
通貨は道具なのだから。

FRBに学ぶ出口戦略の難しさ
戦後世界のかたち(12) 東工大講義録から

2014/5/5 3:30
日本経済新聞 電子版
ゴールデンウイークに海外旅行をした読者もいるでしょうね。帰国して、ドルを円に戻そうとして、外国為替相場を眺め、「もうかった」「損した」と一喜一憂したかもしれませんね。第2次世界大戦後、日本が国際社会に復帰すると1ドルは360円に固定されていましたが、40年ほど前に相場が毎日動くようになりました。その背景にも東西冷戦の時代が大きく関わっているのです。今回はそんなドルの歴史を振り返ってみます。

■12のアルファベットがある
米国の1ドル紙幣にはアルファベットのAからLまで12の文字がそれぞれ一つずつ印刷されています。見たことがありますか。例えばAならボストン連邦準備銀行が発行したお札。Bという文字が記してある紙幣は、ニューヨーク連邦準備銀行が発行したお札です。先日、私がイスラエルの飛行機の中でドルで買い物をした時に、お釣りとして受けとったお札にはIと記されていました。これはミネアポリス連邦準備銀行が発行したお札という意味です。

このアルファベットは、米国の中央銀行にあたる米連邦準備理事会(FRB)の下で、12の連邦準備銀行が紙幣を発行していることを表しています。日本では日本銀行が一括して紙幣を発行しているのとは事情が違うのです。連邦準備銀行が発足後、それぞれ地域にある銀行を監督し、ドルを発行して地域経済と密接に関わりながら活動をしてきた経緯と関係があります。

米国では1913年(大正2年)に連邦準備銀行の制度ができました。日本銀行が1882年(明治15年)に営業を始めたことを考えると、意外に歴史は浅いのです。連邦準備銀行は、どこかの民間の銀行がつぶれそうになったら、金融の大混乱を起こさないように、助けるためのお金を準備する銀行の役割を担ってきました。

その際、当時の鉄道網で1日あれば応援に駆けつけられるような場所に連邦準備銀行をつくりました。ハワイとアラスカはまだ米国の州ではありませんでしたので、それ以外の48の州をカバーできるようにしたわけです。12の連邦準備銀行がそれぞれ3つから5つの州を受け持ったということでしょう。

そもそも米国は建国当初から、地方分権の意識が強く、それぞれの州が独自の力を持って発展してきました。州が集まって連邦国家を構成するという考え方です。州政府は常に「連邦政府が強い力を持つようになったら大変だ」と警戒してきたのです。

FRBが模索する「出口」
それは銀行についても同じ考え方でした。米国では当時、銀行がそれぞれ独自に紙幣を発行していたのです。明治期以降の日本の銀行も同じでした。米国では日本銀行のように大きな力を持つ中央銀行ができたら、各州で営業している銀行が牛耳られてしまうのではないかという危機感がありました。米国では中央銀行などつくるべきではないという思想の下で、個々の民間銀行の経営を重んじてきた歴史があるのです。

新たに就任したイエレンFRB議長の肩には、米経済の安定という重責がかかっている(2月、米下院の証言で)=ロイター
新たに就任したイエレンFRB議長の肩には、米経済の安定という重責がかかっている(2月、米下院の証言で)=ロイター

それでも12の連邦準備銀行がそれぞれお札を発行したり、お金を貸し出したり独自の政策をとり続けると国全体として混乱してしまうかもしれません。そこで12の銀行を統括する組織が必要ではないかということになり、その上に立つ仕組みとしてFRBがつくられたわけです。FRBのトップは総裁ではなく議長と呼びます。今年、バーナンキ議長からイエレンという初の女性議長へと交代しました。FRB100年の歴史の中で初の女性議長が誕生したのです。

FRBの最も大きな使命を一言でいえば「ドルの番人」です。金利を調節したり、市場に出回るお金の量を調整したりして、ドルの価値を安定させることを担っています。つまり米国経済の景気対策を担っているともいえるのです。FRBの議長、理事、連邦準備銀行の代表者らで構成する米連邦公開市場委員会(FOMC)を通じて、重要な政策を決定していきます。FRBの議長などは大統領が指名します。

現在、FRBが直面している大仕事は、2008年のリーマン・ショック後、危機的な状況に陥った米国経済を立て直すために実施してきた大規模な金融緩和政策をいつやめるのかという問題です。これまでは金融機関が保有する国債住宅ローン担保証券を買い取るかたちで市場に大量のドルを流通させ、景気回復の環境づくりに取り組んできました。

ようやく株価が上昇し、住宅販売が回復するなど、明らかに経済環境は好転してきました。このまま金融緩和を続けていたのでは、バブルを生んでしまう恐れもあります。そこで例えるなら、緩めた水道の蛇口を、どのようなスピードで、どのようなタイミングで閉めていくのかという準備を始めているのです。これを「出口戦略」と呼びます。この政策のことを新聞やテレビで見たり、聞いたりしたことがあるかもしれませんね。

新興国の景気、米ドルが下支え
ところが問題はそう簡単ではありません。前任のバーナンキ氏がFRB議長だったころ、「いずれ金融緩和はやめなければいけないときが来る」という趣旨の発言をした途端に、何が起きたのでしょうか。世界中で株価が大きく下落しました。特に新興国、インドやブラジルなどでは、株価が大暴落し、通貨が安くなったのです。

これにはこんな背景があります。米国内ではお金が大量に出回っているのですが、景気がなかなかよくならないから、金利はほとんどゼロで、米国内では貸し出す先がない。じゃあ、米国でほとんど金利ゼロのようなお金を借りて、これを海外に投資しようという流れが起きているのです。

例えば、「インドがこれから発展しそうだ。インドの株が上がるだろう」と考えれば、ドルをインドの通貨「ルピー」に替えて、インドで投資をするのです。あるいは、「ブラジルがこれから発展しそうだ」ということになれば、ドルをブラジルの通貨「レアル」に替え、ブラジルに投資するでしょう。

このため、リーマン・ショックの後、FRBがお金を大量に供給したら、インドやブラジルなどの新興国の株価が上がり、あるいは新興国の通貨が高くなるという状態がずっと続いていました。つまり、米国のドルが世界中に出回って、新興国の景気を下支えするという構図ができあがっていたのです。

ところが、FRBが大規模な金融緩和策を縮小し始めれば、世界中に出回ったドルが米国に戻ってしまうのではないか。米国にドルが戻ってしまったら、特に新興国の株価は大きく下がるかもしれないと、投資家が恐怖心にかられ、実際にそうなる前に株式や通貨の売却に動いてしまったわけです。

FRBにしてみれば、米国景気が良くなってきたから、金融緩和をいつまでも続けるわけにはいかない。でも、うっかり「やめるよ」と発言したら、世界中の経済が大混乱する。まさに市場との対話、マーケットを不安に陥れないような、金融緩和のペースを落とすやり方が問われているということなのです。

これは米国の問題だけではありません。日銀もいずれ同じように「出口戦略」を迫られることになります。今はアベノミクスの下で、お金を大量に流通させているけれども、いつまでも続けるわけにはいきません。いつか絞らなければいけないのですが、絞り方によって、また日本の経済がおかしくなるかもしれない。どのように金融緩和をやめていくのかが大変難しいのです。

FRBは3月に開いたFOMCの後、国債住宅ローン担保証券の購入額をそれまでの合計毎月650億ドルから、4月は同550億ドルに100億ドル減額することにしました。5月以降はさらに100億ドル減額します。雇用・インフレ率の安定が続けば今後も一定のペースで緩和縮小を続けることを検討しています。これまで利上げ再開時期の検討に際しては一定水準の失業率を目安にしてきましたが、これを撤回して、労働市場の様々な指標や内外の金融市場の状況などを含む「幅広い判断材料を考慮する」という方針に転換したのです。

■ドルが「世界のお金」になったワケ
ドルは別名「基軸通貨」とも呼ばれます。これは世界の貿易や投資などで、「世界のお金」として活用される信頼の高い通貨という意味でもあります。では、米国のドルの影響力はどうしてこんなに大きく、強くなったのでしょうか。それには第2次大戦とその後の歴史が大きく関わっています。ドルの歴史を振り返ってみましょう。

第2次世界大戦の最中の1944年(昭和19年)7月、米国のニューハンプシャー州ブレトンウッズのリゾートホテルに、連合国44カ国の代表が集まりました。大戦後の国際通貨体制を検討するためでした。この頃、日本はまだ太平洋戦線で米軍と戦争をしていたのに、米国はすでに戦後世界の体制づくりの準備を始めていたのです。

この会議では、戦後の「世界のお金(カネ)」、つまり基軸通貨をどうするかが話し合われました。それまで「世界のお金」といえば英国のポンドでした。ところが、戦争で英国経済はすっかり疲弊してしまったのです。

当時、米国は新興国から大国への仲間入りを果たしていました。世界の金(ゴールド)の大半が米国に集まっていました。これを背景に、「世界のお金」の地位をドルに代えたい米国のホワイト(ハリー・ホワイト財務次官補)案と、まったく新しい国際通貨(バンコール)の創設を求める英国のケインズ(経済学者のジョン・M・ケインズ)案が対決したのです。

結局、米国の国力を背景に、ホワイト案が採択されました。
さらに国際通貨基金IMF)と国際復興開発銀行(略称・世界銀行)の設立が決まり、外貨不足に陥った国が出たら、IMFが資金を貸し出すことで国際金融の安定化をはかることにしました。

世界各国の通貨はドルに固定され、外国政府が米国政府に対してドルを金(ゴールド)に交換するように求めれば、米国は、金1トロイオンス(約31.10グラム)を35ドルで交換する仕組みになったのです。

ドルは、いつでも金と交換できるルールになったことによって国際的な信頼を獲得します。いわば国際的な「金本位制度」が実現したのです。これを「ブレトンウッズ体制」と呼びます。ブレトンウッズで決まった通貨体制だからです。

■ドルが世界にあふれた
東西冷戦の中で、米国は世界にドルをバラまきます。まずは「マーシャル・プラン」でした。

戦場になった欧州諸国は、経済が疲弊していました。このままでは国民の不満が高まり、社会主義革命が起こりかねないと心配した米国は、マーシャル国務長官が中心となり、1948年(昭和23年)から4年間、西欧諸国の復興に資金援助します。この援助で多額のドルが西欧に流入。西欧諸国は、このドルで米国から物資を買い入れ、ドルが米国内に還流しました。好循環が実現したのです。

しかし、米国はその後、朝鮮戦争ベトナム戦争のたびに多額の資金を費やすことになり、今度は大量のドルが海外に流出してしまいました。ドルを受け取った国は、米国に対して金(ゴールド)との交換を要求できました。東西冷戦を経済という側面でみた場合、米国にとっても大きな負担になっていったのです。

次第に米国が保有する金の量が減少に転じます。1949年(昭和24年)には245億ドル分あった金の量が、1959年(昭和34年)には195億ドル分、1970年(昭和45年)には111億ドル分と激減したのです。米国内にある金の量より、海外にあるドルの量の方が多くなってしまいました。

■東西冷戦で米国経済は疲弊した
窮地に陥った米国は1971年(昭和46年)8月15日、ニクソン大統領が「ドルと金の交換に応じない」と突然演説しました。 これは「ニクソン・ショック」と呼ばれ、世界に衝撃が走りました。

ニクソン声明は、ドルと金との交換をやめて金(ゴールド)の流出を防ごうとしただけでなく、ドルの引き下げを狙いました。金と交換できなくなれば、それだけドルが値下がりして、貿易には有利だと考えたのです。つまりドル安政策でした。

それまで、ドルは金と交換できる安心感があることで、基軸通貨としての地位を保ってきました。それが、金と切り離されることで、ドルは基軸通貨としての地位を失っても仕方なかったのですが、東西冷戦下の経済情勢の下ではドルに取って代わるだけの通貨が存在しなかったのです。

その年の12月、米ワシントンのスミソニアン博物館を舞台に会議が開かれ、為替レートの見直しが行われました。金1トロイオンスの価値を35ドルから38ドルに変更したのです。ドルの価値が下がり、1ドルは308円になりました。これを「スミソニアン体制」と呼びます。

しかし、スミソニアン体制は長続きしませんでした。「いずれまた為替レートの変更がある」と先読みした投資家が、投機的な動きを示すようになったからです。たとえばドルを円に替えておき、いずれ一段とドル安が進んだときに円からドルに戻せば、労せずして差額を利益として得られます。

これが「お金が商品になった」といわれる理由です。貿易や海外投資などのような、取引のためのドルの必要はなくても、まとまった資金を使って外貨を売買するだけで、その差額を利益として得られるようになったのです。もちろん為替の変動を利用した取引には危険も伴いますので、要注意です。

■多極化時代の基軸通貨
1989年(平成元年)12月、当時のブッシュ米大統領パパ・ブッシュ)とソ連ゴルバチョフ書記長によって、東西冷戦の終結が宣言されました。あれから四半世紀がたちました。米ソの緊張緩和によって、世界は核戦争という人類滅亡の危機から解放されました。

その一方で、ソ連の崩壊や米国の外交分野での影響力が低下したことによって、世界を軍事力で支配するような強力な力がなくなりました。良い意味でも悪い意味でも、リーダーシップを持つ国がなくなったのです。つまり世界の秩序を保つ圧倒的な影響力を持った国やグループがなくなり、世界は流動化してしまったといえるでしょう。

東西冷戦の終結は世界経済にも大きな影響を及ぼしました。複雑になった国際情勢を反映し、通貨の世界も多極化の時代を迎えています。2002年に単一通貨「ユーロ」の流通が始まりました。欧州連合(EU)の加盟国は28カ国に達し、米国を上回る人口を持つ経済圏へと拡大しました。

さらに中国が経済力で大きな影響力を持ち始めています。近い将来、米国の国内総生産(GDP)の規模を超える世界最大の経済大国になるのも時間の問題とされるようになってきました。現在よりも通貨「人民元」の存在感がさらに高まってくるでしょう。

新興国の台頭なども加わって、日本経済の世界のGDPに占めるシェアは低下が避けられなくなってきました。円の影響力をどこまで保てるのか課題となっています。そのためにも持続的な経済成長を確保していく道筋が欠かせないのです。

米国も日本も成長著しいアジア市場をどのように取り込んでいくのか課題となっています。先ごろの日米首脳会談でも大きな議題となりましたが、環太平洋経済連携協定(TPP)に象徴される新たな貿易交渉で主導権を握ることは大きなチャンスでもあるのです。特に自国内にシェールガスシェールオイルなど新たな天然ガスや石油の大きな埋蔵量を握る米国は強力な武器を握ったことになります。資源を外交のカードとして切ってくるでしょう。

ドルの影響力がこのまま地盤沈下を起こすのか、それとも強いドルが復活するのでしょうか。学生の皆さんにとって、あまりなじみのなかった米国のFRBの役割や政策に注目してみると、新たな世界が広がるはずです。