藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

もっと夢を。

男の厄年、四十過ぎは色んな人生の変わり目のベルトにある。
「それまでとその後」について、仕事とか家族とか若さと老いとか、もう人生の前半戦のような「勢いのまま」ではいられないことに気づく年頃。(女性の厄年は三十過ぎなのは、そういう時期が男よりは十年ほど早く訪れるということかな)

ついに「これまでの自分て」とか「これからどうなるかな」とか前も後ろも両方が気になるのだろう。案外アッパー50歳の方が平気な顔をしているのは、もう自分の「これまで」をあまり気にしていないからのようである。(複数の先輩に聞いて共通していたコメントである)

年上の人に聞いてみると、50歳の次の「精神的区切り」はどうも"70歳"にあるらしく、六十歳は通過している節がある。
理由を聞いてみるとどうも、体調が変わらず元気でいられていることが大きいようだ。
四十代の人は、次にガラッと景色が変わるのは70歳なのだ、と思いつつ今後の道程を考えてみると少し落ち着いてくるのではないだろうか。

まだ四十になったばかりなのに、「六十からの老後資金で3千万は必要らしいですね」なんて会話が日常化しているのはいかにも年寄りくさい。
安定しているからなのか、一億総ヘタレ思考ではあまり冒険する気にもならないだろうし、全体的に活力がなくなってくるのも道理だと思う。
これからの日本は「脱・逃げきり」「脱・ヘタレ」が必要なのだと思っている。