藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

進むか退くか。

誰かが何かをしたいとき。
誰かにそれを「させてくれ」と頼まれることがある。
そういう時には、大体は
「それをした影響」とか
「メリット」とか
「デメリット」とか
「他人の反応」とか
「身うちの感情」とか
「ライバルの様子」とか
「自分の都合」とか
「あとあとの何か」とか色々考える。

最近いろんな新しいことをしていて思うのだけれど、そりゃいろんな周りへの波及とか、効果とか損失とかを考えるのは大事なことなのだが、それよりも「オファーした人の気持ち」が一番大事なのではないか、などと思う。

色々言ううちに、特に今が大過なく過ごせていたりするとついリスクのことばかり考えて、いつの間にか中心にあったはずの火が消えてしまう。
よくイノベーションを生み出す方法、とかが取り上げられたりしているが、「言われたことをやる」ということと「何かをやりたい」ということは0と1くらい違うものじゃないだろうか。

年を取ってくると若い人の言うことのアラもよく見えてくる。
その見通す力も実に貴重なものなのだが、それ一辺倒では何も生まれない。

かと言って何でもイケイケで思慮なしに突っ走っていてはたちまち転倒してしまうことも多いのもまた現実。
リスクと結果の話ってのはいつまで経ってもこの矛盾からは逃れようがない感じだが、先輩から貴重な一言をもらったのを思い出す。

新たに思いついたアイデアは、十中八九は失敗するものだ。
だが、その「一」を「二」にできるだけ近づけたり、また完全に失敗するだろう三つや四つのことを排除することはあなたの努力次第だよ。と。

そして「その上で、進むも退くも本人次第。他人は決断しない。」

成功と失敗の間には実は細かい小さな努力がいっぱい存在するのだと思う。
丁半ばくちのようなものでは決してないのだ。
何か連続する糸を手繰り寄せるようなものなのではないだろうか。