糸井さんののブログに「好きじゃないけど、おもしろい」を練習しなさい、というエントリー。
ピンときた。
これだ。
口幅ったいが自分も最近思ってた。
恥ずかしながら。
「嫌い」という感情は当然のように「拒否感」を伴う。
よく新人に「仕事場で嫌いというな」というのは仕事場では好き嫌いが原因で「拒否をするな」という意味である。
もう十年位前から若い女性が「ムリ!」といろんな場面で口にするようになった。(これはこれでクドクドした解説や言葉を挟まず"ムリ"の一言で相手に表意する優れた表現だと思う。自分もたまに使ってしまう)
「あの人はムリ!」とかが基本的な使い方だ。
それで完全に拒否してしまうと、もうその人が何を言おうが、何をしようが「受け付けない」という状態になることもよくある話。
だが、だが。
それはもったいないこと。
プライベートならともかく、仕事場での「ムリ!」は損をする。
「嫌いだけれどおもしろい」かもしれないのである。
あの人のやり方には賛成できないし、むしろ嫌いなのだが一理あるな、とか。
我慢ならないやり方だが、あの強引さには学ぶ点がないではない、とか。
嫌な奴にも学ぶ点はあるものだし、何より「そういう目」を持つことは当人にとって絶対にプラスだと思う。
純粋な人ほど「拒否感系」の反応になり易いのかな、と思うのだがちょっと考えてみてはどうだろうか。
「あの嫌いなやつだからこそ、ちょっと何かそこから盗んでやる」という感覚。
好きな人からは自然に受け入れたくなるのは誰しもそうだから。
嫌いな物にこそ近寄る。
嫌なことにこそその「嫌味を探りに行く」。
それって重要な提言ではないだろうか。
また糸井さんに気づかされてしまったのでした。
・人は、もっと練習したほうがいいのではないか。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というけれど、
坊主と袈裟は別ものだと思えるようにする練習を、だ。
「別なんだよ、それは」と理性ではわかっていても、
なかなかそうは思えないというご意見、それはわかる。
だったら練習しようよ、と、大人なら思ったほうがいい。
好きじゃないけど、おもしろいもの。
そういうのは、いくらでもあるはずだ。
好きなんだけど、おもしろくないものも、あるだろう。
そういうことは、分けたほうがいいのだ。
「おもしろいねぇ」と言ったら、
「お好きなんですか?」と訊かれたりするよね。
でも、好きとはかぎらないんだ、
「おもしろいねぇ」と感じたのも、ほんとうなのだ。
まずいけど、たまに食べたくなるものだってある。
ぼくらは、おいしいから食べたいとはかぎらない。
おそらくなんだけど、焼き魚のワタの部分とか、
くさいチーズだとか、ふきのとうだとか、
最初は「ん?」とネガティブに感じたものを、
ちょっとがまんして見栄を張って食べているうちに、
だんだん好きになっちゃうことだってあるだろう。
そういうものなのだ。
好きなものと嫌いなものだけで、
受けいれたり拒絶したりしているわけじゃないよね。
思えば、若かったときとか、
いろんなもののことを大嫌いだとか言ってたよ。
平気で大嫌いって言う「高い位置」に居たかったのかな。
で、「嫌いだけど、受けいれる」なんてことは、
なかなかできやしなかった。
ずいぶんと狭苦しくて損してたと思うなぁ。
ま、いまでも十分に、そういうところは残っているけど、
「好きじゃないけど、おもしろい」と思うことは、
圧倒的に増えたんじゃないかな。
「好きだけど、おもしろくない」というのも、いいしね。
そういう分け方を、もっと練習しましょうよ、なのだ。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
だいたいのものは、なじんでいると好きにもなったりする。