藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

満足のデザイン(1)

*[次の世代に]お金の魔性。
お金というものはどうも"何にでも変化ができる"から、つい「それ」が関心の中心になる。
魔性と言っていいだろう。 
さらに、あればあるほど強欲になりがちだ。
 
若い頃はやりたいことや欲しいものが多いのに、お金がないからお金が欲しいと思う。
お金さえあれば何でもできる、自分の欲望は全て満たされるとも思っていた。
そしてガッツのある人たちは「稼ぐ」ことに夢中になる。
商才があったり、優秀な人ほどこうした轍にハマりやすいようだ。
「稼げる職業」とか「年収ランク」なんていう話題が頻繁に記事になるのはそのせいだ。
 
しかしまた、お金は足りないと恨みや争いをうむ。
お金のことで修羅のような形相で憤怒している人をみたことがあるだろう。
つまり「一定の水準までは必要だが、無限に必要ではない」ということを想像する能力がないと"お金に引きずられる日常"になってしまう。

 「足るを知る」と哲学者や僧侶はいうけれど、どうもそれは「足りてから」のものではないようだ。

というか「足る」を追求すると、多分いつまで経っても足りないのだ。

そんなことを考え、老いを迎えるまでに自分の"人生のデザイン"を考えるような試みが必要なのだと思う。

年代とともにやりたいことも価値観も変わってくるから、10年おきくらいに見つめ直してみるのがいいだろう。

(つづく)