藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

夢を伝えられるか。

まず今の大人世代が「毎日の言い訳を止めること。」
不祥事とかミスとか事故とか。
失言をしても素直に謝らない。
そんな態度を若い人たちは醒めて見ている。

"知らなかった""気付かなかった"聞いていない""覚えていない"
「なんだ、言い訳しかしないのか」
「責任を取らないのか」
「結局はそれかよ」とか若い感性は実に鋭い。

責任を取らず、言い訳をし、そのままゴミを片付けない世代が後進を育てられないのは無理もない。
自分たちの"振る舞い"は根本的に見直さねばならないと思う。

そして大人たち(まあ40代以上か)が自分たちの数十年後に明るさを見い出さねばならないと思う。
史上でも最高に豊かな時代に、最も悲観的で先を見失っているということを冷静に考えて、いたずらな悲観論からは脱却することが必要だ。
「暗い暗い」とばかり口にしても何も変わらない。

それができたら、さらに「やりたいこと」「将来像」を考えたい。

いまは日常が豊かだから、もうハングリー精神を原点とした「成り上がり的」な夢は湧き出てはこない。

ただ経済的なことだけではなく、自分が将来「身を投じてみたいこと」を考える「本当の夢」のことである。

そういう「夢」を考えることこそが豊かさの後の「これからの思考法である」ということを伝えるべきではないだろうか。
若者に年金や医療の心配をさせているのは、大人たちである。
大人たちが汲々とそんな話ばかりしているから、子供たちはそれを見ているのだ。

いつの時代も若者の無気力、というのは大人を映す鏡なのに違いないだろう。