藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自発の力。

マネジメントという厄介な仕事から逃れたいだけではなく。

自分は物事は最終的には「すべて自発的」にあるべきだと思っている。
それは「自発的かそうじゃないか」と言うことの差があまりに大きいからだ。
でも困ったことに、「自発か否か」だけじゃなく「比較的自発」とか「どっちかというとやらされ」というどちらとも言えないこともよくある。

そんな中で、特に人と協働してすることについて。
十代くらいから数十年にわたり、人並みなことを経験したけれど。
学園祭とか遠足とか、グループ学習とか。
社会人になれば会議とかシステム開発とか接待とか研修会とか入社式とか新規事業とか。
いろんなイベントがあった。

不思議にボランティアで帰結するような活動は上手くいき、会社のプロジェクトとか開発案件などは「知らないうちに頓挫している」ことが多い。
つまり「放って置いて」そのまま上手くいくことはほとんどなく、「常に目を光らせていないと」すぐにスタックしてしまうことが多かったように思う。

物事には「皆が常に高い自発意識」で臨むわけではないから、どうしても「管理する側とされる側」というフォーメーションは必要なのかもしれないが、実はどこまで管理しようとしても、あるいは管理されてもそれでは「本来の姿」からは離れる方向に行ってしまうのだ。

アシュケナージの「未来への教室」を見ていて(よくこれがyoutubeに上がっていたものだ。削除要請しないNHKにも拍手。)指揮者が抱くオーケストラの「演奏者一人一人への敬意」というメッセージを聞いて強くそう思った。

管理より自発。ノルマよる自発。

あえてマネジメントに手法を当てはめるなら、いかに自発を引き出すかということに尽きるのではないだろうか。
そんな経営が出来て行けばいいのだけれど。