藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自己選択の力。

自分が社会に出て早三十年近く。
つくづく思うことの一つは「自発」の大事さ。

自分で選択をしないこと、は時として楽な場合が多い。
だって選択するには「なぜ、なぜ?」と幾つも自分で質問を作り出し、自分なりの回答を探さねばならないから。

高速道路のように、すでにできている道を高速ですっ飛ばす方が摩擦は少ない。
けれど選択にはすごい秘められたパワーがある。
それが"自発の力"だ。
これは、その後少々の困難とか挫折とかがあっても乗り越えていくだけの「しぶとさ」を持っている。
というか、これがなければ大体の旅路はどこかで失敗しているだろう。

厳しいけれど、自分で選んで自分でケリをつける。

というのは狩猟時代から変わらない原則のようだ。

アクシデントや思わぬ不運のない人なんていないだろう。
それに降伏するか、諦めて思考停止になるか、心だけでも抵抗するか。
あるいは、着々と次のことを考えるか。
自分の気持ちを「そっち」に向かせるために、また冷静に自分のことを見るために

「自分のことを色々な角度で見る」ということが奥義なのじゃないだろうか。

写真かビデオを見るように、自分のことを見つめるって一番難しいことのような気がする。

誤解1 「個人に責任を負わせる自己責任論である」

 アドラーは自由意志を認め、責任の所在を明らかにするのですが、アドラーのこの考えが「あなたの不幸はあなた自身が選んだものである」「病んだのは本人のせいである」というように自己責任論と見られることがあります。

 しかし、アドラーは、自分の行為について、その選択の責任は自分にあるといっているのであり、(自分の選択に対して責任を問うのは必要なことですが)「あなたが選択したのだから、その選択に伴う責任はあなたにある」と、選択したことで窮地に陥った人を責めたり、そのような人を自己責任だとして救済しないことの理由にするのは間違っていますし、アドラーの思想とは関係がありません。

 自分で選ぶことにはリスクがあると知った人は、自主選択を断念するか、ためらうでしょう。そして、誰かが決めたことに黙従して、選択に伴う責任を回避しようとするでしょう。

誤解2 「“誰でも何でも成し遂げられる”なんて大嘘」

 アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」といいました(『個人心理学講義』)。これに対しては、遺伝のことなど考えれば、何でも成し遂げることなどできないという批判がされてきました。

 しかし、アドラーの主眼は、才能や遺伝などを持ち出し、自分はできないという思い込みが生涯にわたる固定観念になる可能性に警鐘を鳴らしているのです。

 そこを見ないで、人には限界があるということにだけ目を向けさせるのは、何かをしようとする意志を挫(くじ)くことに狙いがあると考えざるをえません。

2016年06月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
ページ: 3
哲学者・日本アドラー心理学会顧問 岸見一郎
誤解3 「人生は思いのままになるというポジティブ思考」


 アドラー心理学は「人生は思いのままになる」というようなポジティブ思考だと解されることがありますが、人生が思いのままにならないことは誰もが経験しているでしょう。過去につらい経験をした人は、そのことがトラウマとなって今不幸であると思うでしょう。

 アドラーがトラウマのことを知らなかったはずはありません。第1次世界大戦に軍医として参戦していたからです。そこでアドラーが見たのは、人と人とが殺しあうという現実でした。

 自分の意志で選べないことを強要された時に、人は精神を正常に保てないことはありえます。それにもかかわらず、アドラーがトラウマを否定したのは、私たちはつらい経験をしても生きていかなければならないからであり、自分が取り組まなければならない課題に対してトラウマを理由に回避してはいけないからです。

 仮に過去につらい経験をしたことがない人でも、その先の人生は決して思いのままにならず、苦しい人生を生きていかなければならないかもしれません。しかし、この苦しみはただ苦しいものではなく、鳥が空を飛ぶために必要な空気抵抗に喩(たと)えることができます。あまりに抵抗が強ければ鳥は風に押し戻され飛ぶことはできませんが、抵抗があればこそ、飛ぶことができるのです。

 苦しみに満ちた人生であっても、どうにもならないと諦めるのでもなく、反対に、何とかなると考え、課題を前にして何もしないのでもなく、できることをしていくしかありません。

誤解4 「理想論であって、実践的でない」

 アドラーの思想は急進的であるためか、理想論であり実践的ではないと批判されることがあります。ちょうど『嫌われる勇気』の完結編『幸せになる勇気』において、「哲人」に対して「青年」は「アドラー心理学は机上の空論だ」と言い放ったように。アドラーの教えを実践すべく教員になった青年と同様、壁にぶち当たっている読者は少なくないかもしれません。

 しかし、アドラーの教えは現実の人間関係における困った場面や、人生の選択肢に直面しているのに一歩踏み出せない時にこそ役立つ心理学です。

 私は講演会に招かれた際に、質疑応答にたっぷりと時間を割くことがあります。質問者はそれぞれが抱える現実的な悩みを、質問という形でぶつけてくださいます。新刊『人生を変える勇気――踏み出せない時のアドラー心理学』では、そのような88の質問をとりあげました。たとえば「何をやっても妻にけなされてしまいます」「やる気を出してくれない息子に困っています」「職場にいる嫌な上司とどうつきあえばいいのでしょうか」等々。

 それらに対して、私は「これから、あなたはどうしたいですか?」と逆に尋ねます。やる気の出さない息子がいたとして、これまでの彼への不満や足りないところをあげつらうよりも、その息子が自立するために今後どのように関わればいいのかを考えて、積極的にアドバイスします。

 すると、講演会を聞いた人からは「話を聞いた直後はいい話だなあと感銘を受けていたのですが、後から考えれば考えるほど腹が立ちました」という反応が返ってくることがあります。それほど、他人のせいにせず、自分を見つめ、生き方を変えることは厳しいものであるということです。

 真に実践的であるものは、厳しさをも伴うのです。

プロフィル
岸見一郎( きしみ・いちろう )
 哲学者、日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究、精力的に執筆・講演活動を行っている。主著にミリオンセラー『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』、『困った時のアドラー心理学』、『人生を変える勇気』など多数。
2016年06月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun