藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

レールに囚われないこと。

 汲々としているのはその人の個人の問題で、世の中が汲々としてるからそうなっていると思って世の中のせいにしているけど、自分が汲々と思っているからそうなんだよね。
自分がこれは軟らかいなと思えば全部軟らかいし、その人の気持ちの持ちようなんですよ。

よほど強くなければ、世の中の「汲々」には抗えない。
学生時代しかり。
社会人しかり。
恋愛、家族、結婚、子育てしかり。
「汲々」というのは逆に言えば「楽に生きていくための標準」なのかもしれないと思う。
だが"それ"が標準では決してない。

まだ続く所節。

そもそもお金が欲しくてやっているわけじゃないんでね。楽しいことを探しているだけですよ。
(中略)
あと、何でも役に立つと思ったら大間違いで、覚えたことなんて9割方、役に立たない。
その中の1割でも光らせられれば、いいなって思っていますよ。

光る一割。
そして。

レールを引いたところをちゃんと走りましたなんて意味はなくて、なんか部品が余っちゃったけど、ボンドの跡が出ちゃって汚らしいけど、城を作ったら屋根が少しおかしいけど、でもそこが自分らしくて楽しいわけですよ。子どもたちにはそういう生き方もあるよと教えてあげたいよね。

今はやりの多様性とか、個性とか。
そんな言葉で片付けられないのは「その人の生き方」がバックグラウンドにあるからだ。
自分たちは決して「理論とか演説」に魅了されるのではなく、その言葉の裏にある「その人の生き方」という泥臭いものにこそ嗅覚を刺激されているのだと思う。

所さんの匂いには要注意だ。
長い引用を二回めだがさせていただく。

「いっぱい落っこちている幸せ」考える 所ジョージさん
聞き手・佐藤剛
2016年12月2日17時33分

司会者や俳優、シンガー・ソングライターなどマルチに活躍する所ジョージさん。「所さんの目がテン!」や「1億人の大質問!? 笑ってコラえて!」など多くの長寿番組でお茶の間に親しまれている。多趣味で様々な話題に通じ、その持ち味は司会を務める「所さん! 大変ですよ」(NHK、木曜夜8時15分)でも存分に発揮されている。番組について話を聞くと、話題は外交交渉や教育論にまで広がっていった。

 ――番組の魅力はどこににあると思っていますか?

 今こんなことで困っているとか、それなのに取り上げてもらえないとか、そういうのが題材として挙がってくるから楽しいんですよね。今そんなになっているのかっていう驚きもある。

 ――印象的だったテーマはなんですか?

 北海道の湖で野犬化した犬がシカを襲う映像はすごかった。チワワサイズなのに、シカを襲って倒して食べるのはショックだった。あんな風になるんだって。

 ――番組の中で垣間見える、所さんの多趣味ぶりが興味深いという方も多いのではないでしょうか?

 僕はふだん何でも興味があるし手を出すんで、たまたま経験談がたくさんあるんで、自分でこんなところでこの話が使えるなって考えると楽しいですよね。ふだんほかのバラエティーをやっていて、そんな話なんてできないもん。この番組は「大変ですよ!」という切り口で、普通のバラエティー番組ではまずないテーマが来るんで、今までないような話を出しやすいね。

 ――毎回、テーマに関する専門家の方とのやりとりも面白いですね?

 専門家の方が来て解決策をっていうと、真剣に考えれば考えるほど、それに沿った答えしか出ないと思うんですよ。そうじゃなくて、全然違う方向にいったら、その枝を幹にしちゃってもいいんじゃんかよっていう方向のほうが解決策が出てくると思うんですね。

 僕は歌の歌詞にも書くんですけど、例えば戦いがあるじゃないですか、そういうときはお互いに「正義」なんですよね。こっちにも言い分があるし、あっちにも言い分がある。じゃあ、お互い正義が戦った時はどうやって解決するのか。こっちに行って「そうだね」、あっちに行って「そうだね」じゃなくて、お互い同じような味覚というか、例えば全員が羊羹(ようかん)食べてみようと。せいので羊羹を食べてみようと。そうすると同じ味覚になるんで、多少の解決策というか、同じ方向に向かうための「のりしろ」が広がるんじゃないかなって思うんです。

 でもそれってやらないじゃない。実際ケンカしているもの同士が一緒に座って同じものを食べる、同じものを飲んでみるって大事なことだと思うんです。同じ味覚の中で何か探せるんじゃないかなって。相手の意見のここはよくないとか、俺はこう思うと言っていてもずーっと平行線でしょ?両方正義なんだから。となれば、同じような味覚の中で話すと、もうちょっとなごむんじゃないかなって。そうすれば解決案も妥協案も出てくるんじゃないかなって。だから総理には、外国に行く時いつも羊羹を持っていってほしいよね(笑)。ロシアと何か話を進める時はまず羊羹を出す。まず甘いものでホッとした気持ちになってから話すと、話も進むんじゃないかな。私が外交交渉するならまず甘いものを持っていきますね。

 ――汲々(きゅうきゅう)とした世の中にあって、それとは無縁な存在に見える所さんから元気をもらうという人もいるのではないでしょうか?

 汲々としているのはその人の個人の問題で、世の中が汲々としてるからそうなっていると思って世の中のせいにしているけど、自分が汲々と思っているからそうなんだよね。自分がこれは軟らかいなと思えば全部軟らかいし、その人の気持ちの持ちようなんですよ。

 どんなにお金があっても、センスが育たなければわけの分からないものを買うじゃない。でっかいシャンデリアとか、意味ない猫足の椅子とか。「何百万円もしたんです」ってバカみたいじゃん。お金をもってバカみたいになるよりは、お金はほどほどで、センスや社会的な対応力もそこそこの方が幸せだよね。

 実は、その場所場所に幸せなんていっぱい落っこちている。砂漠で水は幸せだよね。ところが溺れている時に水は「ふざけるな」なわけですよ。だから水がどこでも幸せかっていったらそうじゃない。水1杯にしたって、状況によって、持つ人によって、ありがたいありがたくないが決まるんだよね。そうすると、個人が「不景気だなあ」なんて言っているのは自分が不景気だから、自分がつまんないからだよね。

 みんな言い訳をして自分の立場を保っているけど、1回「自分はそんなに頭がよくないな」って思った方がいい。そうすると慎重になる。できる体(てい)でいくから痛い目にあうんだもの。俺、できねえし頭悪いなって思えば慎重になるもん。そうすると、慎重になればなるほど色んなことを考えるようになってドラマが生まれるので、幸せがいっぱい落っこちているんですよ。

 コンビニがあれば用が足りるからっていう人は幸せ感が少ないよね。コンビニに寄らずに何とかしようって人は、人に愛想よくしてミカンでももらう。そういう人の方がドラマがあるし幸せもいっぱいある。ミカンなんて買えばいいんだとかね、あそこに売っているからって手に入れている人は幸せが少ないよ。ご近所づきあいで、ミカンをもらったんで今度は何々でって返しておく。そこには次もあるんだよね。そういうやりとりができる人は幸せも多いよね。

 だから僕はよく言うんだけど、日常使えるお金が1万円札が最低になればいいと思う。そうしたらみんな幸せになれるよ。なんでかっていうと、ガムを買うのにもちょっとしたお菓子を買うのにも全部1万円なの。1万円札しかなくて、おつりがないんだから。

 ということは、ガムやお菓子を段ボールで買うしかないじゃない。そしたらご近所づきあいをしていれば、今回はおせんべいを買ってきたんで、次はおしょうゆ買った時には分けましょうね、みたいな感じになってきて、一人じゃ生きていけないってことだよ。一人で生きたい人はお金がかかるってこと。だからおつりがない1万円札だけになったら、みんなが自分で愛想よくなっていくと思う。

 ――所さんのユニークな発想はどこで養われているんでしょうか?

 いやあ、毎日余計なことばかり考えているからね、ほんとに。例えば、「例えば」って言葉をリズムに乗せたら面白いんじゃないかなとか、歌を頭の中でリフレインして作ってみる。車運転している時も、ずっと何かを考えていたい。何でもいいの。目に入ってきたもの、耳に聞こえてきたものなんでもいいんですよ。

 柿なんかでも、おいしいなって食べるんじゃなくて。できるだけたくさん、きれいに全部並べてみたいんだよね。もう絵を描いちゃいたいわけ。柿の葉っぱもバランスを考えてどこに置こうかってやってみたりね。もう一つのことでトコトン遊ぶんですよ。北海道でカニを買ってきたら子どもと遊んでみる。ただ口にカニが入ればいい、じゃ嫌なんですよ。せっかく遊べるものがあるんだったら、それは絶対に1回遊ぶ。それから食べるなり使う。そうすると面白くなるよね。

 スイカの時期になったら、何か新しい切り方ないかなとかね。ただ切って食べるのはバカだから、何か新しいのないかなと。せっかく生きているんだから常に何かを考えていたいのよ。流されて何かを進めたくないよね。世間の皆さんはイライラするとかよく言うけど、僕は全然しないもんね。楽しくてしょうがないもん。まあ変わりもんですよ。

 ――所さんには多くの長寿番組がありますが、視聴者にどんな点が受け入れられているんでしょう?

 いや何でしょうね。みんな習慣で、スタンダードになっちゃって、もうチャンネルを合わせてくれちゃってるんじゃないですかね。

 みんなテレビで見ている限りは、何か好きなことやって言いたいこと言って楽しそうに暮らしているおじさんで、よくあれが仕事になってお金になっているなって思っていると思う。VTR見て何か発言するだけでいいんだもんなあっていう人は、1回やってみればいいんだわ。あんたもVTR見てね、ヘエーってやってみればいいんだよ。それだけでお金になるんだったらやってみなさいって。

 そもそもお金が欲しくてやっているわけじゃないんでね。楽しいことを探しているだけですよ。アルバムを700円で売るとかね。話題にしてくれよって思うけど、どうも歌の世界だけは無視されるよね(笑)。今回のアルバムもいきなり「和菓子の弱点」って曲が出てくる。日常の面白いことを歌にしているんです。

 子どもも、何も知らないうちは「なんで」って聞くけど、大人になると聞くのを恥ずかしがって知っている体で進めちゃうんだよねみんな。クーラーをつけると子どもに「なんでクーラーは電気で冷えるの?」って聞かれますよ。そうすると説明できないまま「クーラーだからだよ!」みたいなことで終わっちゃうことが多いでしょ。

 でも、それを説明してあげないと。そういう説明をしてあげられる大人にならないと。それを子どもに聞かれたら調べないと、陰で。それである日「あれはな……」って話してあげないと。それをみんな勉強しないのよ。でも面白いんだよ、陰でちょっと調べていると。

 「これはどこかで使えるんじゃないか」っていうのは、必ずトイレで仕込んでおくもんね。うちはトイレにいっぱい本があるんですよ。それで「これを覚えるぞ」みたいな。何かの時にこれを使うぞってね。そういうのはくすぐったいんですよ、これを覚えたことで、どこかで出す機会が来るんじゃないかって。

 昨日覚えたのがね、「越鳥南枝(えっちょうなんし)に巣くい、胡馬北風(こばほくふう)に嘶(いなな)く」、これを覚えたんですよ! 誰もが遠くふるさとを思うもんだっていうような意味なんですけど、そんなのなかなか使える場所ないじゃん。だけど、覚えたくてしょうがなかったの。トイレで用を足しながら覚えるのが面白くてしょうがないわけ。しかもそうやっている自分自身が面白いのよ、もう(笑)。だからね、おもしろがり方なんて色々ある。

 あと、何でも役に立つと思ったら大間違いで、覚えたことなんて9割方、役に立たない。その中の1割でも光らせられれば、いいなって思っていますよ。

 ――多彩に活躍している所さんが、自分で一番「所ジョージらしい」と感じるのはどんな点ですか?

 何でしょうね。約束事でギリギリ怒られないところが面白いですね。優等生だったらちゃんとレールに乗って、守っていれば怒られないんだけど、ちょっと怒る人がいるんじゃないかっていう、ギリギリのところにいるのが私じゃないですかね、きっと。

 でも、まあ「怒るに値しないな」っていう人もいるでしょうけど。そこが難しいところなんですよ。超えると怒られちゃうし、もうちょっと超えないと気にされないみたいな。バイクに乗ってヘルメットはかぶっているけど、あごひもがちょっと外れているみたいな、そういう風なところが楽しいし、僕っぽいのかな。何もかもちゃんとやっているというのはつまらないんで。

 プラモデルを作っていても、完成品ができあがって誰よりもうまいなんてのはどうでもいいこと。一つもクリエーティブでも何でもない。パーツが10も20も余っているのにそこそこちゃんとしているなっていう、その方が面白い。全部が設計図通り順番通りうまくできて、汚れもなくできあがったものを、みんなは100点だっていっているけれども、そんなものは100点じゃない。生きている楽しさでいったらそんなの意味がない。

 レールを引いたところをちゃんと走りましたなんて意味はなくて、なんか部品が余っちゃったけど、ボンドの跡が出ちゃって汚らしいけど、城を作ったら屋根が少しおかしいけど、でもそこが自分らしくて楽しいわけですよ。子どもたちにはそういう生き方もあるよと教えてあげたいよね。(聞き手・佐藤剛志)