藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最適の師。

なんでもAIと称して「クラウドを使ったちょっと便利なプログラム」を全く新しい別物のように言うのは正直、業界にいる身としてはとっても違和感がある。
そんな自分だがふと思いついた。
今一番悩ましいのは「勉強する必要があること」が多いのに全くインプットが追いついていないこと。

ほんのinとoutだけを見ても消化不良も甚だしい。
このまま70歳とかになっても多分「このまま」だ。
寒っ。

そこで願う。
本とかデータとか。

そんな入力たちを「自分に合わせて加除してくれるAI」っていずれできないだろうか。

フジノに足りないのはこの辺りの知識や理論だ。とか。
この学習者は相当な専門知識なので、隣接する学際的なところを補強してみよう。とか。

本とか画像とかのインプットって、読んでみて「案外役立たず」ということも少なくないし、書き手と肌が合わない場合はイライラすることもある。
それが読書でしょ、と言われればそれまでだが、小説のように展開の筋をメインに追いたいのではなく、色々と"深い辺り"を考えるためにより広く根本的な知識が欲しいのだ。

うーん。
ここまで書いてみて、自分は何がしたいのかよく判別できなくなってきたぞ。
なかなか難しそうだ。

将来、そんな「読み手に合わせた入力整理装置」ができてくれればいいのに。
と今でも「優秀な入門書」とかはあるわけで、結局また主役は書籍に戻ってくるのか。
ぐるぐる。