藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

主語がないコンセプト。

初めての上場に自らを「まだぎこちない」と吐露する糸井重里氏。
その世界の第一人者だけあって「とにかく上場」した人たちとはマインドが違うようだ。

自分は三十代になるまでは知らなかったけれど、MBAで習うような市場調査だとか、競合の分析だとか、必要な資金の計画とか、成長性だとか。
そんな当たり前の経営の王道は、つい「その型にはめること」が自己目的化すると思う。
慣れてくれば反射的に頭の中に事業計画書が浮かび。
そしてそれに当てはめていくことで「経営できました」と思ってしまったり。
まだまだ青写真なのに。

無手勝で、ともかく当たって砕けろ、出たとこ勝負。
というのも危なっかしいけれど「経営とはこうあるべき」みたいな固定観念をもっと緩めて考えるような"バランス"が妙味なのに違いない。
糸井さんが踏み出しているのではそこではないか。
と勝手に想像してにやにやしている。

だって糸井さんが「これで株価対策になるな」とか「株主がなんていうかなあ」とか言うのってらしくない。
けれど「そういったこと」にこれからは触れないわけにはいかない。

揺るがない(多分練りに練った)コンセプトは「やさしく、つよく、おもしろく」である。
これって主語がないじゃないか。

静かな船出だけど、これから市場で面白いことが始まる予感がする。

ほぼ日刊イトイ新聞
・いろんな場所で、しばらくぶりに出会った人たちが、
 「おめでとうございます」と声をかけてくれます。
 それは、3月中旬の「ほぼ日がジャスダック上場」
 というニュースのおかげなんですよね。
 たしかに、それは簡単な道のりではなかったし、
 社会のなかの「会社」として認識されたということで、
 祝われるのはうれしいものなのですが、
 ぼくの、ほんとの気持ちは、もうちょっと複雑です。
 「ありがとうございます」という気持ちの他に、
 なんとなく、初めてこどもを持った父親みたいな、
 「目が笑ってない」硬い笑顔になっているんです。
 新車を受取ってガソリン入れに行くときだとか、
 入学式や入社の式に向かう駅からの道だとか、
 やっぱりちょっとぎこちなくなるじゃないですか。
 ぼくは、じぶんのことを、
 けっこういろんなことに馴れた人であると、
 じぶんにも言い聞かせて、そうふるまってきましたが、
 そういうものでもないんだなぁと、よくわかりました。

「ほんとうに問われていることは、なんなのか?」
 それを、真剣に自問自答してきたはずです。
 根本的とは言いにくいような現象や思惑にとらわれて、
 ほんとうに大事なことを見失わないようにしようと、
 こころを引き締めてきたのですが、
 考えがやっぱりまだ、のびのびできてない感じです。
 このへんのある意味で初々しい感覚は、
 やがて馴れてから忘れてしまいそうなので、
 あえて記しておこうと思いました。

実際に考え中だったりやり出していることは、
 いままで以上に真剣だったり大胆だったりしています。
 どうやら、というか、けっこう確信的に、なのですが、
 「ほぼ日」は、変わります。
 政治家がよく「チェンジ!」と言いたがりますが、
 あんまりそういう感じじゃないような気がします。
 でも、起承転結でいえば、おもしろく「転」します。
 少しずつわかってもらえるようになると思いますが、
 「やさしく、つよく、おもしろく」の精神はそのままで、
 できることをひと回り大きくしていくような変化です。
 19周年の記念日である6月6日に向けて、動いています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。