藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

真面目に選ぶ時代に。

よく会社の経営はトップの資質次第だと言われる。
それはわかる。

株主の信任を受けて経営を任された経営陣は、責任を負い結果で評価される。
政治家も同じことだろうか。

選挙で「株主ならぬ国民」から選出され、政治を任され、結果に責任を負う。
でも。
それにしては株主である国民は、ずい分と不満ばかりをあげつらう。
なんでだろうか。

それは経営と政治の質の違いだ。
経営では、株主は「より利益をだしてくださいよ」という方向で一致している。

一方政治では。
国民全員が株主、だから「ありとあらゆる意見が混ざり合って」いる。
利益(経済成長)だけを出しても、
弱者や高齢者だけを手厚く保護(福祉)しても、
外交や国防だけに頑張っても、
決して全面的な賛同は得られないのが政治家なのだ。

だから、逆に「個別のリーダーたち」の動きは民間企業よりも、実は重要なのかもしれない。
長らく自分は「首相とか外務大臣」が外交して築く信頼関係など、全く意味がないと思っていた。

国同士の外交に、"一個人である政治家が関係する"ということに納得がいかなかったのだ。

しかしどうも現実の「国同士のお付き合い」はやはり最終的に「人対人」で培われる部分も大きいらしい。
過去幾多の歴史の転換の舞台は、必ずキーになる人がいた、と描写される。

自分たちは、これからのために「最も重要な進路」を信託できる人物を真剣に選ばねばならない時期にいると思う。
自民党にだけ阿(おもね)っていた時代は、いよいよ終わりを迎える。

麻生氏不在の存在感
 首相まで務めた先輩議員でありながら、14歳下の安倍晋三首相を「総理」と呼び、敬礼を怠らない。政権ナンバー2としての麻生太郎副総理・財務相の所作は徹底している。その麻生氏が2017年の国会で、安倍首相の答弁に珍しく嫌な顔をしていた場面が印象に残っている。

 安倍首相がアベノミクスの成功を訴える中で、08年のリーマン・ショック後の経済運営を当てこすったときのこと。09年からの旧民主党政権への皮肉だとしても、危機時に首相として奔走した麻生氏には聞き捨てならなかったようだ。

 麻生氏ら当時の首脳の真剣ぶりを示したのが、日米欧に新興国を加えた20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)の創設。リーマン・ショックから2カ月の早さで会議の開催までこぎ着け、結束を新たにした。国際金融の安定を守る国際通貨基金IMF)の拡充は、日本の音頭でG20会議を舞台に進んだ。

 石油危機後の経済を論じるため1975年に日米欧の首脳が集まったことに始まるのがG7の枠組み。G7は共通の価値観をもつ少数のメンバーが集まるのに対し、G20は成長著しい中国やインドも顔をそろえる。「G20会議は出席者が多すぎて言いっ放しになりがち。なかなか議論が深まらない」(国際金融筋)との不満はある。それでも、過去10年でG20はすっかり国際社会に定着した。

 近年際立つ特徴は、G7とG20を通じて最も早い年初のG20財務相中央銀行総裁会議がその1年の国際社会のテーマを方向付ける役割だ。市場の動揺を受けた2016年2月の上海での会合は「政策総動員」を打ち出し、金融政策だけでなく財政や経済構造の改革に取り組むと強調。「政策総動員」が16年を通じたキーワードになった。

 ドイツ南西部のバーデンバーデンで開いた17年3月の会合は、米国第一を掲げる米トランプ政権を国際社会が迎える場でもあった。「保護主義に対抗」という定例表現を米国の主張で削除せざるを得なかった共同声明が衝撃的だった。議長国のドイツをはじめとする参加者に米国へのいら立ちが充満していた。

 異様なムードの会議で米国に寄り添う姿勢が目立ったのが麻生氏。「『毎回同じこと言うな』って言って、次のとき言わなかったら『なんで言わないんだ』という程度のもの」。独特の言い回しで反保護主義の文言削除をめぐる騒ぎを一蹴した。G20会議に併せてムニューシン米財務長官と個別に会い、米国を迎え入れる窓口役を買って出ているようにも映った。

 米国の鉄鋼輸入制限の発動が迫るタイミングに重なった18年最初のG20財務相会議は20日(日本時間21日)、アルゼンチンのブエノスアイレスで幕を閉じた。通商政策の担当ではない財務相が集まっても通商が最大のテーマになるよじれ。米国は自国中心の強気を崩さず、トランプ時代の国際協調は18年も山あり谷ありだと予感させた。

 今回、欧州や新興国が米国との窓口役を期待したであろう麻生氏の姿はブエノスアイレスになかった。G20会議がヤマ場を迎えた頃に麻生氏がいたのは日本の国会だ。学校法人「森友学園」に関する決裁文書を財務省が書き換えた問題にまつわる疑問は尽きず、麻生氏の責任と進退を問う声が次々と上がっている。

 不在がむしろ存在感を示すことがある。ブエノスアイレスでそう感じたG20会議の出席者もいただろう。森友問題の収拾のため、麻生氏辞任の可能性を想像するときに政権関係者が感じるのと同じように。

編集委員 上杉素直)