藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

すでに起こった未来。

岩谷英昭さんの講演録より。
シンギュラリティ(技術的特異点)はまもなく起こる、とか
AIが凡人を葬るとか、野次馬のように言っていないで「じっくりと変化の先」を考えたいものだ。
日々情報が入れば入るほど、本筋の議論が見えなくなるような気がする。

私が松下電器に入社したのはちょうど50年前です。
その時の松下幸之助の話で、私たちはモーターを作っています、電池も作っています、太陽電池の実験も始めました。
この2つを使って将来は自動車にも進出するかもしれないので、皆さん勉強してくださいと言われました。
あれから50年、松下電器250年計画の1つの節目がやってきました。

ソニーウォークマンから始まる家電製品の歴史も鮮やかだが、

すでに起こっている事実(スマホ)から、まず「今を理解すること」は誰にでも可能なはず。

日々デジタル化する日常の中で「なんでもweb」「仮想通貨」ばかりに目を奪われていると大事なものに気づかない、というのが真実のような気がする。

このようなことを当時おこなっていた松下幸之助には、すでに起こった未来があったのではないかと思う次第です。
シンギュラリティが起こっても変わらないもの、AIにはできず人間にしかおこなえないことがきっとあります。

洞察力の底は深い。

シンギュラリティにも負けない松下幸之助の魂

5/6(日) 12:15配信

岩谷英昭氏(ピーター・ドラッカー大学院特別顧問)

青山学院大学シンギュラリティ研究所の設立を記念した講演会の内容を、6回にわたり掲載していく。第1回は、「シンギュラリティに生きる、松下幸之助」と題して、元米国松下電器(現・パナソニック)社長・会長、グローバル戦略研究所所長などを歴任した岩谷英昭氏(ピーター・ドラッカー大学院特別顧問)が、4月22日に講演した内容を紹介する。

「すでに起こった未来」から推察するシンギュラリティ

 シンギュラリティについて、私もそんなに詳しいことは分かりません。今日の講演を聞いたら、それが誰かに説明できると思って来た方には申し訳ありません。また、ここでIoTやICOの話をするわけではありません。どんな時代が来ても変わらないものがある。それをこれから説明したいと思います。

まず、スピルバーグ監督の最新作『レディ・プレイヤー1』の予告編を見ていただきましょう。「想像が全て現実になる街、オアシス。何でもできる、どこへでも行ける」オアシスというのは超リアルなVRワールドです。今までは空想の世界はアニメーションで、現実世界は現実の映画で描かれましたが、今回は空想と現実が極めて近い所に融合して描かれています。スピルバーグ監督は以前から、こういった手法が得意で重さ3トンというありえない巨大サイズのホオジロザメに人間を襲わせた『ジョーズ』を製作して、全米の海水浴客を怯えさせていました。『レディ・プレイヤー1』はこれの未来版ですね。

未来を語る上で忘れてはならない名前が、2045年にシンギュラリティの到来を予測したレイ・カーツワイルです。彼の論説によれば、AIが進化を続ければ想像できないような長寿を得るとか、人間の生活も一変して、先ほどの映画と同じように想像が現実に思える超仮想現実世界が訪れるそうです。私は1年のうちの数ヵ月を海外で生活していますが、アメリカでは自分ではクルマを運転せずに「Uber」を利用しています。「Uber」こそ現在、見られる未来の形だと思います。

知らない方のために簡単に説明しますが、例えば青山学院前の正門に立ってスマホで「Uber」を起動して、配車を依頼するとGPSで調べて来てくれます。また、品川駅に行きたいと決めておけば事前に料金が分かります。車種も高級車、普通車、2人で乗るのか、1人で乗るのか。ドライバーの写真も出てくるので、女性の方は女性ドライバーを選ぶこともできます。また、客がドライバーを評価すると同時にドライバーも客を評価する相互評価を実施しています。支払用のクレジットカードが日本で発行されたものなら、アメリカにいても乗車5分後には自動的に日本語の領収書がプリントアウトされます。このようにシンギュラリティは身近なところから始まっているのです。

私が所属するロス郊外にあるピーター・ドラッカー大学院のピーター・ドラッカーさんが生前によく口にしていたのが「すでに起こった未来」(Future that has already happened)という言葉です。ピーター・ドラッカーさんはマネジメントの発明者で、未来学者とも呼ばれていました。「すでに起こった未来」、つまり未来は現在に内包される、「故きを温ねて新しきを知る」ではありませんが、未来を知るには過去を振り返らなければなりません。

私が務めていた松下電器、現・パナソニックには偉大なる未来学者とも言える松下幸之助がおりまして、彼はいろいろなことを50年前から言っております。例えば観光立国日本、富士山を自分の手で作ろうとしたらどれぐらいの労力が必要になるのか、瀬戸内海を一から作るためにブルドーザーで地面を掘り起こして水を入れて作ろうとしたら、どれぐらいの予算と年月が必要なのか、日本にはそれがあるのだから、世界に見せればいいと語っていました。過去の人であろうと未来を持つ、自分で未来を作っていこうとする意気込みを持つ人であれば、どんな時代が来ても慌てない。何がAIにできて、何が人間にしかできないのか、それを皆さんにも学んでいただきたい。

長い前置きになりましたが、本日のコンテンツは歴史的背景、つまり過去10年間、日本は大変苦しい時代をおくってきました。特に私が属するエレクトロニクスの世界では、何が起こってきたのか? それを一度、掘り下げ、その後でシンギュラリティが起こる2045年までに、どんな世界が訪れるのかをお話ししたいと思っています。

ウォークマンからiPod
 まず、日本のホームエレクトロニクスの歴史に触れていきます。1979年にソニーが「ウォークマン」の1号機を発売しました。ポータブルのカセットテープレコーダー、いや録音機能はないのでカセットプレーヤーでした。当時、議論されたのは「Walkman」という英語はおかしい。「Walkedman」ではないかと。それを聞いた盛田昭夫会長(当時)は、そんなこと関係ない、言いやすい方がいいのだと一喝。「ウォークマン」は世界でヒットするポータブルデバイスになりました。これは約40年前、AppleiPodを発明する遙か以前のできごとです。何千万台、各メーカーを合わせれば億に近いデバイスが売れたと思います。

1976年、日本ビクターがVHS方式のコンシューマー用ビデオテープレコーダーを初めて発売いたしました。松下電器もVHSを採用して、この後、アメリカのテレビ会社はほとんど全滅しました。RCA、GE、モトローラなどがありましたが、日本、韓国、ヨーロッパの会社に買収されてなくなります。そして80年代はケーブルテレビや衛星放送が開始され、90年代はテレビが大型化してさらに衛星デジタル放送が始まります。

そして、2001年になると一旦、無くなっていたアメリカのパワーを復活させる商品がAppleから登場します。「iPod」です。これが新時代の「ウォークマン」になってしまった。ここから日本は段々と萎んでいって、2010年になると世界を牽引する商品は消えてしまい、今まで評価されなかった中国の技術力がドローンやAI搭載のロボットを生み出してきます。これから先がどうなっていくのかを模索するのも今日の1つのテーマであります。

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スマホには1億円の価値がある

 2045年までにどのようなことがおこるのか、それをこれから6回の講演で探って行きたいと思います。これまでのなかで、一番世界を変えた商品と言えば、皆さんのポケットの中にあるスマホだと思います。iPhoneだけでなく、いろいろなメーカーの製品がありますが、私はこれには1億円の価値があると言います。

なぜかと言えば、以前テレビ会議というシステムがありました。ビデオカメラとテレビを使って離れた場所で会議をするのですが、これを構築するにはだいたい7000万円ぐらいかかりました。それに加えてナビシステム、コンピュータ、カメラ、電卓、電子辞書、時計、ドローンのコントローラーの役目まで果たせるわけです。

私、実はiPhoneをロスの空港で紛失しました。まさに私の脳の70%が失われた感じがしました。翌日、日本でどの電車に乗ればいいのか、今日は暑いのか寒いのか何を着ればいいのか、それすら分かりません。友人の電話番号も分かりません。全部、スマホの中に入っていたのです。シンギュラリティは私の家の中でも始まっていたことをつくづく感じました。

眠れる獅子、中国の台頭

 2つ目は中国の進化ですね。私が先日、訪れたカメラメーカーですが、ピーク時には5万人の従業員がおり、カメラだけでなくスマホのレンズも製造しております。一歩工場に入ると人はいません。無人化されて、日本のロボットがたくさん入っています。また、中国の「Galanz」(ギャランツ)という電子レンジや冷蔵庫、エアコン、洗濯機、IH調理器などを作っている家電メーカーですが、工場の屋根には沢山のソーラーパネルが貼ってある。深センの70%のクルマは電気自動車なんですね。それぐらいに著しく変化しています。

それから日本の製造業が見逃したものがあります、EMS(Electronics Manufacturing Service)と言って電子関連の機器の製造をおこなうサービスなんですが、この言葉すら死語でありまして、全てをアウトソーシングできるという企業がでてきました。デザインも、パッケージングも、デリバーもおこなう。シャープが台湾・鴻海(ホンハイ)に買収されて、初めて鴻海という名前を知った方も多いかと思いますが、ここの会長のテリー・ゴウさんとはよく10年ぐらい前にアメリカの大型量販店で鉢合わせしていました。EMSで世界1位です。13兆円ぐらい販売していて、日本最大の企業より2倍ぐらい大きいのです。

また、BPO(Business Process Outsourcing)に関してですが、これは経理や財務、請求書や領収書の発行からコールセンターの業務に至るまでやっております。一番大規模におこなっているのが中国の大連。ここを利用して急成長を遂げたのがアメリカの企業です。アメリカ人は割り切ったら決断が早いですから、自分の手に負えないことは全てアウトソーシングしていきます。

トランプさんはそのことをご存じなのかなという心配もございますが、例えば日本の企業は未だに製品開発、デザイン、ブランディング、生産、販売、リペアサービスからコールセンターまで垂直にやっています。これをバーチャル・コントロールなどと言っていますが、アメリカの企業はホリゾンタルなコントロールを採用しており、Appleは研究開発、ブランディング、デザインまではおこなうが、その先はEMSに委託しています。商品を売ることはお客様とのコンタクトの場であるので、自分でやっています。しかし、修理やコールセンターは任せるという方針です。かつては栄華を誇った日本が、現在はアメリカと中国、韓国、台湾からも攻められて、この10年間は悲壮な目にあいました。いくつもの有名企業の名前が消えていきました。

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モーターと電池から見えた未来

 私が感じたシンギュラリティは、アメリカで近くの湖に釣りに行こうとなった時に数マイル先までドローンを飛ばして魚がいるかどうかを確認した時です。レジャーに使えるほどドローンは身近なものになっていました。最近では韓国の冬期オリンピックの時に1,218機のドローンを使って五輪のマークを作ったことが印象的でした。実験的には人間が乗れるタイプもできています。

また、私の知人で元船長が広島で興した会社では、潮流発電に挑戦しています。海流を使って発電するために、マグロタービンと呼ばれる発電機を開発して、世界の海に沈めて発電しようとしています。出力は10kWとそんなに大きくありませんが、エネルギーの変換効率は太陽電池発電が18%に対して海流発電は100%*になります。水深5m以上あれば使えるものの日本の川は浅いのでなかなか難しいのですが、これを数千個も海に沈めたり、中国なら揚子江に沈めたりして、世界の海や川で発電できるようになります。

*参考資料:http://www.naikai-power.co.jp/tidal/nova-energy.html

私が松下電器に入社したのはちょうど50年前です。その時の松下幸之助の話で、私たちはモーターを作っています、電池も作っています、太陽電池の実験も始めました。この2つを使って将来は自動車にも進出するかもしれないので、皆さん勉強してくださいと言われました。あれから50年、松下電器250年計画の1つの節目がやってきました。

私はアメリカで2年働き帰国後は電池事業部に配属されました。その時に電池、モーターで箱があれば自動車ができるという話に夢を感じました。このようなことがシンギュラリティのひとつの使命でもあります。

では、今に何を作るかと言えば、ロケットです。アメリカでは「PayPal」創設者のイーロン・マスクが設立した、宇宙輸送サービス会社「SpaceX」が火星への移民を呼びかけ、ロケットブースターの再利用に成功しました。同社は有人火星飛行を2024年に計画しています。

そして、この最先端技術から家電品に技術が降りてくるかもしれない。従来もそのような応用事例はありました。大きな夢を描いてその技術を実用化していくことが経営者の大きな目標だと考えております。

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伝説の「熱海会談」から見えてくるもの

 現実的な話に戻りますが、松下幸之助とシンギュラリティの関係は、具体的には何もおこなっていません。ですが、彼がおこなったいろいろな行為の中で、今からでも大切だという話があります。そのひとつが「熱海会談」です。昭和39年夏、高度成長から来る業界の過当競争、減収減益、世の中全体のキャッシュフローが悪くなりつつある時です。松下幸之助は情報を集めた結果、もう座して待っていられない。熱海に松下電器の役員と営業部長、営業所長全員、そして販売会社、代理店の社長と会長を全員、170名余りを集めて会談、つまりセールスミーティングをおこないました。

1日目、2日目、販売会社、代理店から辛辣な意見が飛び交いました。2日目の夜になってもこれは収まりませんでした。そして3日目の午前11時、松下幸之助は突然、立ち上がって陳謝しました。今まで協力していただいた皆さんに対して恩返しができていませんでした。これは自分の不徳のいたすところです。ポケットからハンカチを出して涙を拭きながら、頭を深々と下げたそうです。この事態を乗り切るためには松下電器の全資産を提供してでも、何とか乗り切るつもりですので、協力してくださいと頼んだそうです。すると代理店の社長があちこちから、いや、自分たちも悪かった、あなた1人が頭を下げる必要はないと、涙を流したそうです。

日本人の浪花節全開ですが、後にも先にも参加者全員が涙を流すというのは前代未聞の出来事です。これこそがEmpathy、共感ではないでしょうか。松下幸之助は170人あまりの1人1人に向かって語りかけるように話をしたので、全員がこの状況に感動したわけです。

Communicationはこれでいいのですが、落としどころが必要です。Commitmentですね。何をやったかと言えばクレジット会社を作って、とりあえず1000億円分の手形や債券を私が肩代わりしますと宣言しました。販売は小売店、集金は松下となりました。松下幸之助は自ら会長から営業本部長代行となり、工場から販売店までの流通過程を減らして、1年後には売上が回復して、多くの販売会社と代理店の経営が回復したのです。

Communication、Empathy、最終的にはCommitmentという所までいったひとつの商法はシンギュラリティが起こっても変わらないと思います。これを私は松下幸之助の独特のアナログのネットワークと呼んでいます。当時の松下電器には200を超える代理店があり、その下に2万店を超えるショップ店と呼ばれる街の電気屋さんがありました。そして600万人を超える「くらしの泉会」というお得意様の会があります。このネットワークがすべて会社に直結したわけです。

このようなことを当時おこなっていた松下幸之助には、すでに起こった未来があったのではないかと思う次第です。シンギュラリティが起こっても変わらないもの、AIにはできず人間にしかおこなえないことがきっとあります。それが何かをこれからの6回の講演を通じて考えていただきたいと思います。

岩谷英昭氏:1945年岡山県生まれ。経営コンサルタント。1968年、松下電器(現・パナソニック)に入社。米国松下電器社長、会長、グローバル戦略研究所所長などを歴任。ピータードラッカー大学院特別顧問。東北財経大学(中国)客員講師。東北財経大学(中国)客員教授。(写真・NAONORI KOHIRA)