藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

姿勢を学ぶ。

自分のようなヘタレが言うこともないが、医者というのは憧れの職業だ。
実態を知る知り合いは、その「勤務状況の過酷さ」をよく言うが「人の命を救う」という真正面の使命に嫉妬する。
ビジネス社会では、仕事をよく「ゲーム」にたとえて楽しんでいる、という人もあるがそういうのとは違うだろう。
ビジネスだって真剣だが「命に直結」している点で医師の使命はシンプルなのだと思う。

(前略)
目の前にいるのはウイルスの塊などではなく、高熱と戦う子どもなのだと悟りました。
結局、彼は亡くなりました。一生懸命治療しても、助けられない命は多いです。
現場には「一期一会だ。置いてこれるものは全て置いてこい」という先輩の言葉を胸に赴きます。
帰国後はアドレナリンが切れて一週間は寝込みます。
しかし現地で僕は何ものにも代えがたいものをもらっています。

ビジネス社会は一見「命」とは直結していないけれど、こういう「ひた向きさ」を持つべきではないだろうか。
「なんでもやってやれ」という若い年代ではないからだろう、余計に最近そう思うようになった。
多分「残された時間がそんなにないこと」に自分が気付いているからだ。

国境なき医師団日本会長 加藤寛幸さん アリの視点で人道援助(1)

  紛争や災害で生命の危機にさらされる人々がいれば世界中どこへでも駆けつけ治療を施すのが、非政府組織の国境なき医師団(MSF)だ。MSF日本で会長を務める加藤寛幸さん(52)は、遠くの子どもの苦しみを、我が子のものとして受けとめる社会を目指す。

2017年9月、支援に訪れたバングラデシュの難民キャンプの光景には、これまで何度も悲惨な現場を目にしてきた僕も言葉を失いました。ミャンマーでの治安部隊による掃討作戦から逃れてきたイスラム少数民族ロヒンギャの人々は、地面に竹を刺した骨組みの上にビニールシートを張っただけのキャンプに収容されていました。

蒸し暑く、雨が降れば道は泥の川となる。10月にはジフテリアが流行しました。予防接種を受けていない彼らは次々倒れます。暴力による外傷の治療にも追われました。皆、ぼうぜんとした表情で、目を見開いているのですが視線が定まらない。彼らがどれほど大きな恐怖を味わい、どんなに大変な思いをして逃げてきたのか伝わりました。

17年秋冬にはバングラデシュにMSFから約300人が入りました。もともとMSFはミャンマー国内でロヒンギャを支援していたのですが、17年夏には人道支援団体がミャンマー政府に追い出され、僕たちの活動も再開できない状態が続いています。17年11月にミャンマーバングラデシュと難民の帰還で合意しましたが、今でもまだ逃げてきている人がいる状
況です。

  専門は小児救急と熱帯感染症スーダンシエラレオネアフガニスタンなどで修羅場をくぐってきた。
過酷な現場への恐怖心がないわけではありません。14年冬のシエラレオネでのエボラ出血熱対策に行く際は、感染への恐れはありました。でも最初の患者さんに接した瞬間に気持ちが変わりました。

治療施設に着いてすぐ、7〜8歳ぐらいの男の子の体を洗ってほしいと頼まれました。両親を亡くし、本人もエボラ感染で消耗しきっていました。意を決してその子の体に触れた瞬間、柔らかな感触と体温が伝わり、僕の恐怖心を追いやってくれました。目の前にいるのはウイルスの塊などではなく、高熱と戦う子どもなのだと悟りました。
結局、彼は亡くなりました。一生懸命治療しても、助けられない命は多いです。僕が患者さんを亡くし泣いていると、他の患者さんたちが僕を慰めるために肩をたたいてくれたり、声をかけてくれたりします。多くは家族を失ったり、帰るところが無かったりする人たちです。危険や困難のなか必死に生きている人たちが僕たちを気遣う優しさ、強さにはとても教えられますし、助けられます。

現場には「一期一会だ。置いてこれるものは全て置いてこい」という先輩の言葉を胸に赴きます。帰国後はアドレナリンが切れて一週間は寝込みます。しかし現地で僕は何ものにも代えがたいものをもらっています。
編集委員 瀬川奈都子が担当します)