藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

停滞と成功の法則

*[次の世代に]問題のあとで。
ほぼ日より。ちょっと長い引用。
次の段階にステップする手前で、
激しい停滞感に襲われることが、よくある。
身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、
漠然とした不安に覆われてしまって、
何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、
周囲の散らかった状況が気になってみたり、
親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、
そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、
とにかく、いったんどんより沈むことがある。
 
ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、
空が晴れるようにあかるくなってきて、
新しい地点からものごとを見られるようになっている。
そして、しばらく前のあの停滞感は、
ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、
気がつくことになる。
自分もよくある。
本当に。
けれど改めて振り返ってみるとその鬱陶しい「それ」がないと「その後」もなかった、ということに気づく。
問題のないところに煙は立たないとでも言うか。
人知れず街外れの居酒屋でため息をついているような。
人にも言いたくない諦めの境地のような。
 
ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、
空が晴れるようにあかるくなってきて、
新しい地点からものごとを見られるようになっている。
 
そういう話で世の中はできている、ということが分かれば、少しは「停滞」に慣れることができるだろうか。
でもヤツはいっつも新しい姿をしてやってくるんだよなぁ、と思う。
年をとると、そういうことに鈍くなるのだろう。
だんだんと耐えることを覚えるのだなぁとも思う。

09月12日の「今日のダーリン」

 
・同じようなことを何度か書いた気もするけれど、
次の段階にステップする手前で、
激しい停滞感に襲われることが、よくある。
身体や頭の中が腫れぼったい感じになったり、
漠然とした不安に覆われてしまって、
何から手を付けていいのか、見当がつかなくなったり、
周囲の散らかった状況が気になってみたり、
親しい人たちのなんだか無理解な反応にいらだったり、
そういえば天気もよくないから気が晴れなかったり、
とにかく、いったんどんより沈むことがある。
 
ある程度の時間が経つと、きっかけもないまま、
空が晴れるようにあかるくなってきて、
新しい地点からものごとを見られるようになっている。
そして、しばらく前のあの停滞感は、
ここに来る前の成長にともなうものだったのかと、
気がつくことになる。
 
じぶんで何度も経験してきたことで、なおかつ、
友人や知人たちの発言やらから感じとることでもある。
次のフロアに出る前の、薄暗い階段の踊り場。
気分はよくもないし、そんなところにいたくもないが、
かならず通過しなきゃならないものなんだよね。
その時期に、簡単に気晴らしをしてしまうと、
前の階にもどっちゃうのか、そういうルールなのか、
確かめたこともないので、いまだによくわからない。
 
「なんだかなぁ」などと、ちょっとぼやきながら、
ちょっと辛抱して腫れぼったく過ごして、
黒雲が風に流されるのを待つしかないのだろうな。
 
実を言うと、ぼく自身がここしばらくそういう時期で、
どうしたものかと足取り重く生きていたのでした。
ただ、長年生きてきた経験もあるから、
次の階にやがて上がれるという自信みたいなものが、
こころの奥にあったのはありがたかった。
「停滞感」は悪いものじゃないと、これは、ほんとう。
前を向いていながら足が動いてないと気づいているから、
感じることができるものなのだ。
で、いま、もう次のフロアが見えてきてるんだ〜。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いろいろ、おもしろくなりそうです。接戦上等、苦労厳禁。