藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

楽しい年。元年

*[次の世代に]答えのない時代に。参考書とかもっと端のこと
ほぼ日より。
いまからぼくが受験勉強をするとしたら、
きっと「徹底的に問題集をやる」ことにするだろう。
でもね、ぼくはもう受験はしないと思うので、
どちらかといえば、問題集よりも参考書が読みたい。
その問題の周囲に、どんなことがあるのかとか、
問いと答えの外側やら内側のことが知ってみたい。
確かに今受験するなら「過去問制覇」だ。
確かにもうやりたくはないけれど。
「参考書」は周辺の知識の補強だ。
というか「そもそもの発祥」とか「意外なコラム」とかが書いてある。
自分はコラムとかコーヒーブレイク、の記事ばかり読んでいた。
ルイ14世はわずか4歳で即位し…」とか聞いても「はぁ?」と頭には入らなかった。
 
けれど答えのない時代に入ってしまったらしい。
ここ10年くらいでいよいよとそう感じる。
今の若者は「楽しいこと」しかしたがらないという。
そういうことが肯定される時代になってきた。
令和は"楽しい年の元号"になるのではないだろうか。
 
 
今日のダーリン
別にほめられたことではないのだけれど、
 ぼくはちゃんと受験勉強をやらなかった。
 やったとしても出来はわるかったろうから、
 結局はやってもやらなくても同じだったのだろうが、
 受験勉強ならではの「コツ」の話などを聞くと、
 なるほどねぇ、と思うことがある。
 …といっても、例えばどういう「コツ」があるのか、
 聞いて感心したくせに忘れてしまっているけどね。
 ひとつ覚えているのは「徹底的に問題集をやる」だ。
 そうか、教科書とか参考書とかもあるけれど、
 それを勉強してあれこれやっているよりも、
 すでに問題として資料になっているものを解いて、
 解けなくても答えを暗記して、そのことを繰り返す。
 「問題の数は有限なんだよ」とも教えてもらった。
 いまからぼくが受験勉強をするとしたら、
 きっと「徹底的に問題集をやる」ことにするだろう。
 でもね、ぼくはもう受験はしないと思うので、
 どちらかといえば、問題集よりも参考書が読みたい。
 その問題の周囲に、どんなことがあるのかとか、
 問いと答えの外側やら内側のことが知ってみたい。
 できるだけ短く暗記しやすいようにできている答えより、
 ちょっと余計なことかもしれませんけど、
 こんなことも知っておくとおもしろいんですよね、
 というようなことのほうに興味がある。
 いっそ、答えみたいなものもなくてもいいくらいだ。
 ま、こんなことを言ってるぼくは、
 受験の世界では永遠に負け続けることになるだろうね。
 でも、なんかね、世のたくさんの人たちが、
 簡単に覚えられる答えとかコツとかを求めている時代に、
 ちょっと逆らってみたいとも思っている。生意気だけど。
 「徹底的に問題集をやる」も、「コツを知る」も、
 マジックの種を教えてもらうみたいに、
 ある意味では好奇心の一部を満足させてくれるだろうし、
 なにかの自慢や成功に結びつくかもしれない。
 でも、答えを知らないままに、
 たのしみを耕していくほうがおもしろいと思うんだよ。
 受験勉強を逃げたぼくの考えそうなことだけどさ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日の学校」は、参考書のむやみに豊富な世界だなぁ。