藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ファミリーの使い方

*[経営]同族経営のバランス。

日経、星野リゾート社長の「ファミリービジネス論」より。

自分も実家が同族経営だったこともあり、シリーズを面白く読ませていただいた。

詰まるところ、同族のよさである「結束」とか「事業への情熱」を生かしつつ、また同族ならではの「甘え」を排して「所有と経営の分離」をいかに志向するのか、というテーマだと思う。

当記事では「ファミリー憲章の制定」という画期的なアイデアが示されているが、"こういうもの"がなかったために没落した同族企業は数知れない。

単なる「実力至上」でもなく「血縁偏重」でもないバランスが妙味なのだと思う。 

古今東西「バカ息子が放蕩した」とか「勘違いして船を沈めた」という話は実に多い。

特に昭和の経営者には(平成は?)起業への情熱が強い経営者が多かったようだが、ほとんどの会社はその情熱を受け継ぐことなく二代目以降が萎ませてしまっている。

今あるリソースと情熱を「バランスシートの項目だけでなく」どのように継承していくのか、というテーマはすでにあるようで実は新しいテーマだと思う。

 

特に中小企業においては、多くの「一代限り」の経営を存続させる解法になるのではないだろうか。

ヨーロッパのマフィアなんかは似たような理論で運営されているような気もするのですが。

 

 

 

「家族憲章」は転ばぬ先のつえ 佐々木オタフクHD社長
2020年4月18日 2:00
こんにちは。星野佳路です。欧米などのファミリービジネス研究者から、よく勧められるのが「ファミリー(家族)憲章」の制定です。創業家のメンバーが守るべきルールや行動規範を定めたものです。この仕組みを日本で導入した先進的な事例が、ソース大手のオタフクソース広島市)の創業家。2015年の「佐々木家家族憲章」制定を推進したオタフクホールディングス広島市)社長の佐々木茂喜さんに、狙いや経緯などを尋ねました。
星野リゾート代表。1960年長野県生まれ。慶応大学卒業、米コーネル大学ホテル経営大学院修了。88年星野温泉旅館(現・星野リゾート)に入社。いったん退社した後、91年に復帰して社長就任(写真:鈴木愛子)

創業者の孫は21人もいる!

星野佳路氏(以下、星野) 日本ではまだ「ファミリー憲章」という言葉を知らない人も多い。「つくろう」と思ったきっかけは、何かあるのですか。
佐々木茂喜氏(以下、佐々木) 神様が降りてきたんですよ(笑)。突然、天啓のように「やろう、やらなくては」と、使命感が湧いてきた。思えば、同族経営のいいところも悪いところも、人一倍見てきましたから。私は、創業者の孫です。大学卒業後、オタフクソースに入社。間もなくして、先に入社していた兄が会社を去り、2代目社長の父が早逝しました。それから私は、父の弟3人の社長の下で23年半働き、05年に6代目社長になりました。その間、会社は大きく成長しましたが、そんな流れの中では当然、いろんなことが起きます。
星野 赤裸々な記憶の蓄積が、フラッシュバックした、と。
佐々木 社長就任から6年後、経済産業省のイベントで偶然、「ファミリービジネス」という言葉を知り、この分野を開拓中のコンサルタントと出会いました。ファミリー憲章などについて聞くうち、「これを佐々木家に導入するのが自分の使命だ」と直感しました。
星野 なるほど。同族企業は何かともめ事が多く、その原因はお決まりのパターンばかりです。いつか必ずもめるのだから、その前にルールをつくっておこうというのは、合理的です。特に問題になるのが事業承継ですが、佐々木家では、どのように進んだのですか。
1959年広島県生まれ。82年広島修道大学卒業後、オタフクソース入社。2005年社長就任、09年オタフクホールディングス社長を兼務。15年「佐々木家家族憲章」を制定。同年からオタフクソース取締役を外れ、ホールディングス社長に専念(写真:橋本正弘)
佐々木 創業者には7人の子がいて、これが「お多福」という商号の由来とも言われます。息子は6人。私の父は創業者の三男でしたが、父の長男、つまり私の兄は、創業者にとって初めての男の子の孫でした。当時のことですから、跡取り息子として一族の期待を一身に浴びて育ち、一方、父は創業者の後を継ぎました。
兄は入社後、自分のしたいこととは違うと違和感を抱いたようで、わずか数年で社を去り、ちょっとした衝撃が走りました。そんな折に父も急逝したので、相続などを巡って難しい局面がありました。仕方ない。何しろ父には7人の兄弟がいて、私には従姉弟が21人いますから。
星野 では、お父様が亡くなった後の社長は?
佐々木 父の弟の叔父3人が、年上から順番に務めました。1人目は、管理畑出身。コンピューター導入の推進など進取の気性に富む、バランス感覚に優れた方でした。2人目は、製造畑出身の職人肌の社長。看板商品の「お好みソース」を開発した方です。3人目が今の会長で、営業出身。全国展開などを推進しました。
星野 兄弟の役割分担が明確ですね。ファミリービジネスがうまくいきやすいパターンです。
佐々木 絶妙でした。実際、3人のトロイカ体制の下で、会社は大きくなりました。仲も良かった。私も子供の頃から、叔父たちとは家族ぐるみの付き合いです。

「65歳」「55歳」を節目に

星野 叔父さんたちから、若い佐々木さんへのバトンタッチは、どのようになされたのでしょう。
佐々木 「65歳」が節目という暗黙の了解があったようです。
星野 そして創業者の末の息子の叔父様が65歳になったとき、佐々木さんが、第3世代の社員で最年長だった、というわけですか。
佐々木 確かにそうです。先代の叔父のおかげで、若いときから製造から営業まで、いろんな現場を経験させてもらいました。
星野 いきなり「社長をやってほしい」と言われたのですか。
佐々木 いえ、引き継ぐ2、3年前から、それとなく。私を含めた第3世代からは、従兄弟8人が会社に入っているので、気を使うところもあったでしょう。
星野 あうんの呼吸ですね。昔の星野家を思い起こすと、それも簡単でない気がします。佐々木家は、基本的に仲がいいんですね。
佐々木 私は、既にオタフクソースの社長を退いています。ホールディングス社長の肩書はありますが、実際の仕事は広島経済同友会代表幹事など社外が7割です。そもそも、オタフクソースの社長に就任したときにまず、「10年でやめる」と決めました。
星野 なぜですか。
佐々木 いろいろありますが、1つには、父が55歳で亡くなったからです。私は社長になったとき46歳で、父と同じ年で死ぬと考えれば、あと10年が区切りになると。社長には異動も転勤もないから、外部環境から、新しいモチベーションを得るのが難しい。少なくとも、私にはムリだと思いました。
だから、従兄弟にも「10年でやめる」と公言し、ファミリー憲章の制定に着手したわけです。次の社長選びの基準も示しました。「何を始めたか」「何を変えたか」「誰を育てたか」の3つ。これに従い、海外展開を推進した従兄弟が、次の社長に選ばれました。
星野 基準が売り上げや利益でないのですね。ファミリー憲章の制定は、どう進めましたか。

創業家の特権」で紛糾

佐々木 前述のコンサルタントに13年春から毎月、広島に来てもらい、従兄弟8人が半日がかりで侃々諤々(かんかんがくがく)と議論を続けました。しかし、とにかくもめた。
星野 どんな論点で?
佐々木 まずは「なんで?」です。どうして、親族の間にルールをつくるのか。それが、どうして今なのか。事業もうまくいっているし、家族がケンカしているわけでもないのに、なぜ、そんなことをする必要があるのか、と。しかし、やっぱり「転ばぬ先の杖」なんですよ。具体的な社長交代や相続でもめる前に、ルールを決めておくことに意味がある。「緊急ではないけれど、重要なこと」と、言い換えてもいい。
星野 言い得て妙です。ただ、第三者がいなければ、理性的に議論するのは難しかったでしょう。
佐々木 ええ。各論でも、反発がありました。特に抵抗が強かったのが、佐々木家の中から、株式を持ち、会社に入れるメンバーの人数に上限を設けようという、私の提案でした。どこかでタガをはめないと、会社中が佐々木姓の人間ばかりになりかねない。それで会社の発展があるでしょうか。
星野 最終的には、皆さん、納得されたのですか。
佐々木 はい、私たちの従兄弟8人の家族を「八家」として、株主も社員も1家族から1人ずつに絞ることになりました。
星野 憲章の内容について、いくつか質問があります。この憲章に従うと、オタフクソースなど事業会社の取締役会に占める佐々木家のメンバーの比率は下げていくわけですか。

最後は誰が決めるのか

佐々木 憲章には「半数以上を佐々木家以外」にすると掲げ、既に実現しました。一方、事業会社を束ねるオタフクホールディングスは、主に佐々木家のメンバーで取締役会を構成します。
星野 グループとしての最高意思決定機関は、どこなのでしょう。ファミリー憲章にある「オーナー会議」ですか。年2回、8家族の代表8人が集まるとあります。
佐々木 いや、オーナー会議やホールディングスの取締役会など、佐々木家が中心の機関では、事業会社の実務に関わる意思決定はしません。オーナー会議で議論するのは、佐々木家の理念や教育、社会貢献などについてです。
星野 私が一番気になるのは、事業上の大きな「戦略転換」について意思決定するのは誰か、です。例えば、仮に競争環境がガラリと変わって、ソース以外の商品に軸足を移そうという議論が出てきたとしましょう。その際の意思決定に、佐々木家の総意が必要になるのかどうか。その是非で経営のスピード感が大きく変わります。要るとなれば、迅速な意思決定が阻害されるかもしれません。
佐々木 大きな方向転換は法律上も株主の承認事項です。しかし、戦略を考えるのは基本的に事業会社で、新規事業の立ち上げも任せています。日ごろのコミュニケーションの中で「今、こんなことを考えています」と聞くことは当然ありますが、オーナーとしては口を出しません。
星野 つまり、全く知らないこともないけれど、勝手に決めてもらっている、と。
佐々木 はい。私はもう事業会社の役員会にも出ていません。オタフクソースの現社長は佐々木家出身ですが、将来は、非同族からも有力な候補が出てきてほしい。第2世代から会社に入った4人は全員、社長になりましたが、私たちに続く世代はそうはいかないと思います。
星野 佐々木家の子供たちにすれば、入社する前も、入社した後も、厳しい競争が待っています。優秀な子がいても「そんな競争には参加したくない、家業には入りたくない」とはならないでしょうか。
佐々木 うちの場合、そもそも社員にならないと、株主になれない決まりがあるのです。
星野 つまり、家族を代表して株主になれる権利を得ても、入社しなければ、その権利を行使できない、と。「社員の佐々木さん」にならない限り、「株主の佐々木さん」にもなれない。そういう選択を次世代に迫っているわけですか。
佐々木 そもそもは、株式の流出を防ぐために決めたルールです。経営陣の知らないところで、誰かに株式が渡ると大変ですから。
星野 確かに。ただ、後に続く世代が、このルールをどう感じるか。これからが正念場ですね。
佐々木 ええ。およそ仕組みとは、現場への落とし込みが8割です。憲章を文字にしただけでは、まだ2割しかできていない。
――ファミリー憲章は今後、日本の中小企業にも広がるでしょうか。
星野 オタフクグループのケースで、少なくとも「つくれる」ことは、明らかになったはずです。ただ憲章は万能ではない。特に、私が課題に感じるのは、経営のスピード感を鈍らせないか。加えて、創業家による意思決定の客観的な妥当性をいかに担保するか、です。佐々木家はあうんの呼吸で、いい判断ができてきたかもしれませんが、それを今後も維持できるか。
佐々木 あうんの呼吸は、日本的経営の良さではないでしょうか。
星野 そういう側面もあります。最後に何より、私が強調したいのは、ファミリー憲章が「ない」よりは「ある」ほうが、圧倒的にいい、ということ。それは間違いない。余計なことでもめて、時間とエネルギーを浪費するリスクは、格段に減るはずです。
佐々木 社員にはルールがあります。「社員心得」があり、「就業規則」も「評価基準」もある。ならば、創業家にも守るべきルールがあるべきで、それがファミリー憲章なのだと思います。
[書籍「星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書」から再構成]

星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書

著者 : 小野田鶴, 日経トップリーダー
出版 : 日経BP
価格 : 1,980円 (税込み)