藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

文化とは何か。

世界中の途上国で民主化の革命が起き、また先進国は例外なく経済危機に苦しむ。
だがそんな中、「金融」という共通語でくくられた関係国は、一蓮托生の危機に瀕している。

もうEUだけ、アメリカだけ、中国やブラジルだけ、という単位の議論はなりを潜め、世界での数ブロックが、互いの協調をもってなんとか地球規模の沈没だけは避けよう、という意図がはっきりしてきている。

だが、意に反して「金融経済」というルールに加盟している国は救われる様子がない。
今の不況の行く先が、どの程度の破たんを呼び起こすかは神のみぞ知る、だが、そろそろ「その後のルール」つまり次世代の価値観について考えておく必要があると思う。

文化、という観点で考えたいこと。

「文化」・・・


自分は「その今の時代の多くの人の価値観の分布のこと」だと考えている。
排気量のともかく大きい車や、豪華な宝飾品が皆の羨望になっている社会、は「それが文化」だったのである。
つまり、「国民の興味の程度」を示すものであり、また本当に成熟しないとその"教養度"もなかなか上がらない。
日本は、その意味では割合世界レベルでも高い方だという気がするが、まだ自己主張を持ち切れていないという気がする。
まだ他人に引っ張られているのだ。

過去二千年余りの歴史を鑑み、「日本文化の価値観」のようなものが確立できれば、恐らく世界でもトップレベルの深遠さを持つのではないか、と強く思う。(事実そう言う識者は多い)

元々、個性を押しだすよりは「和を以て尊しとなし…」という民族である。
たまたま二十世紀後半は「物まね」「意思表示なし」「没個性」と、あまり(特に)ビジネス面で評価はされなかったが、そんな流れは、ここ50年で一変するのではないだろうか。
多くの人が「日本の暦年史」と、その文化を学びに来る時が来るように思う。
今でも、ドナルドキーン氏をはじめ、一部の賢人はそのことに気づいて、熱心な日本研究者である。

そして、それが日本人の「お人よし」でもあるが、自分たちがそんな「深い歴史の層に紡がれた民族」だという自覚がからきし無かったり、また二次大戦時のように「大和民族最強説」のような経済的な話を盲信して大事故を起こしたりするのである。
日本と日本人は、もう少し俯瞰し、冷静に自分たちの特性を見つめ、そしてこれからを考えるべきだろう。
それは恐らく「戦後66年の決算」ということになるのだろうと思う。


もうそろそろ過去の呪縛から逃れ、自らの強さと弱さを直視しようではないか。