藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

会話の目

*[次の世代に]二種類のやり取り。

相談援助の方法で「傾聴」というのがある。

"相手のいうことを真剣に聞く"という意味だが、これがなかなかに難しい。

対人で相談をする職業の人でもなかなかできていないとも聞く。

 

誰かと話をしていて「あれ、この人自分の話ばっかりしているなぁ」と思ったことはないだろうか。

よく町場のカフェでおばさん同士が話しているやつだ。

で注意してみると、これは自分にも当てはまりがちなことで

ともかく「あ、それ知ってる」とか「自分にそれはない」とか、とかく自分の体験や考えだけで相手にものを言ってしまうような状態だ。 

つまり相手の「対話したい」思いに対して、返答は「自分の相槌だけ」になってしまっている。

これではコミュニケーションとはいえない。

アマゾンのAlexaは、まだ日常のお友達とまではいかないが、雑談の相手だけなら近い将来、AIがかなりの水準にまでできるようになるだろう。

 

日常の会話の中でも「ただ言いたいことを話している」のか、

相手との「対話を欲しているのか」を意識して分けて考えてみると、なかなかに面白い。

"相手との対話"を意識できるようになると、話の内容が充実したものになるのである。

もっともそれって結構気を遣うことであり、リラックスした会話とはずい分違うものなのなのだけれど。