藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

非・常識(1)

*[次の世代に]土地神話への懐疑。

コロナ禍がなければ、ひょっとして(自分が生きてきた)50年くらいは変わらなかったのじゃないか? と思うくらいに「都心」とか「土地」とか「移動」などについての"再定義"が始まっている。

今まではみんなが「心のどこか」に持っていた小さな疑問が、一斉に喚起されたのだ。

「なぜ会社に出勤するのだろう」という人は増えてきていたし、「空いていることが多い大きな会議室は必要かな」と思う人はいたけれどそんな声が主流になることはなかった。

コロナは犠牲者も出しているが、それを上回るくらいに「自分たちの生活の再定義」をしてくれているように思う。

 これまで「多くの人が感じていたけどちょっと憚られていたこと」を改めて点検して疑ってみるのが今回の災厄の"一番の活かし方"だろう。

 

テレワークをしていて、つくづく感じるのは「自分じゃなければいけない仕事」と「ついでの頼まれごとや相談事」の区別がはっきりしてくることだ。

自分じゃなければ判断しにくいことはそのまま残る。

そうじゃない仕事は自分で「考えきらず」に生煮えで他人に依頼したりしていたようだ。

メールや電話で「一手間かけて」頼み事をする前に、自分で判断できることは結論を出してしまうことで、他人の時間や頭を邪魔せずにすむ。

そんなこともコロナがもたらした「仕事の再定義」なのだ。