藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

非・常識(2)

*[次の世代に]幸せの再定義。

コロナ禍から一年で早くも都心のオフィス賃料が5%ほど下がっているという。

これから先を考えるとそら恐ろしい。

一等地にあるマンションなどは、まだしばらく人気があると思うが「こんな場所にこんな値段で住みたくないな」と思う層の人たちはかなりの数、広めの郊外に移動するだろう。

よく大金持ちの人が自宅や別荘に、呆れるくらい大きなリビングを設えたりしているが、また反対にそんなに広いスペースが必要だろうかとよく思う。

つまり虚栄のない「適性なサイズの部屋」に自分たちは戻っていくのではないだろうか。

 都会の「明らかに息が詰まる狭い部屋」ももう住みたいとは思わないし、例え田舎でも「何十畳ものリビング」も本当に自分が欲しいものではない。

自分が「住んでいて幸せな空間」へと収束してゆく時代になるだろう。

 

で人は「本当に必要なサイズの生活空間へ戻る」のだとすると、自分はそれは「一人六畳くらい」ではないかと思っている。

広いリビングに住んだこともあったけれど、驚くほど余分なスペースは使わなかった。

テレビやソファーを置いてみてもホコリがたまるばかりで、ほとんどの時間は「六畳のスペース」で過ごしていた。

 

「自分が欲しい快適空間と支払いたい値段のバランス」がこれから起こると思っている。

家族でも一人に一つづつ"六畳の書斎"があれば、それぞれの関係は円満になるのではないだろうか。